オートバイとオープンカー

オートバイに乗ることは人生に似ていると思う。

これから進んでいく前方の先へ先へと視線を送りながら障害を予想し、
カーブに合わせて減速したり加速したりしながら進むと滑らかな運転ができる。
すぐ目の前の路面なんかを見て走ったりすると、たちまちそのスピード感に
恐怖を覚え、バランスをくずしてしまうかもしれない。
人生についても似たようなことが言えると思う。
自分のこれから進もうとする未来に焦点を置き、明確な目標を持ち、
困難を予想しながら進んでいけば何か事が起こった時にもあわてることはないし、
なによりしっかりと目標が決まっているのだから、それに向かって突き進んで
いけばいいだけのことだ。
目先のことばかりにとらわれていると、オートバイの運転と同様バランスを
くずし転倒さえしてしまうかもしれない。

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人生が運転と同じだと言うなら車でも同じことではないかと言う人がいるかも
しれないが、私は違うと思う。
オートバイは風雨にさらされることもあるし、夏の暑い日ざしや空気の匂い、
路面からのフィードバックを体感できる。
常にバランスを保ちながら運転しなければならない。

それなら、自転車はどうかというと、確かに自転車でもいいと思う。
ゆっくりと自分のペースで漕ぎ、時折道ばたに咲いている花を眺めながら、
ゆるやかな風に吹かれ進んでいく。
それはそれでいい人生だと思う。

でも、私にとって何かが決定的に足りない。
私はオートバイのエンジン音が好きなのだ。
暴走族がブンブンいわせている音ではない。
あれは「エンジン音」とは言わない。ただの「騒音」だ。

馬の走るような音、もしくは心臓の鼓動のような音を聞きながら走っていると、
私は一人で走っているような気がしない。
さらに、寒い日にエンジンの熱くなった部分に凍えた手を当てると、
オートバイに暖めてもらっているような感じがして嬉しくなる。
だから私にとっては自転車ではなくオートバイなのだ。
人生も一人で生きるわけではないのだし。

では車はというと、車はよほど危険な運転をしない限り転倒することはないし、
暖房やクーラーをかけて快適に進むのでは、生温いレールの上を目標もなく
ダラダラと進む人生に似ている。
オートバイとは雲泥の差だ。

片岡さんは何かのエッセイで、車の前面ガラスを、まるでテレビを見ているよう
だと書いていた。
さらに車内のティッシュケースやこまごまと雑然とした小物を見ると日常の空間
ごと移動しているようだとも書いてあった。
私は車に乗るたびに、そのことを思い出す。
だから、車に乗るなら、せめて夏は幌を開けられるオープンカーにしようと思い、
今の車を選んだ。

だからといって、車が嫌いなわけではなく、私の人生をたとえるなら車ではなく
オートバイだろうなと思っただけだ。

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by space_tsuu | 2004-07-11 00:00 | 私の心とその周辺
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