ドライ・マティーニが口をきく

「三日見ぬまの桜かな、と言います。日本の四季感は三日ごとに変わる、と俳人は度胸で言いきるのです。たしかに、日本には、じつにさまざまな季節感があります。それぞれの季節にからめて、いろんな女性の素敵なところや悪い癖をさりげなく描くとこうなるという、これは国語の教科書なのです。」
扉の文章だ。
なるほど、教科書かと思いながら再度読んでみると、全編にわたって教わるところだらけだ。
真似したい素敵な部分、真似をしなくても似てしまっている悪い部分、教科書は、時おり本棚から取り出して復習しなくてはいけない(笑)

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「たいへんな空ね。きれいで、すごいわ。あんな色になるなんて」
(中略)
「気がつかなかったわ、いつからあんな空の色だったのかしら」
ひとりで、恵子は西の空に夢中だった。
「素敵だわ。こんな空にむけて、走っていけるなんて」
(中略)
「いま、四時十分ね。いつから、西の空はあんなだったの?」
佐藤健二の顔を見て、恵子は、きいた。
「ずっと」
と、彼がこたえた。
「一時間くらいまえかしら」
「ずっと」
「残念だわ。もっと早くに見たかったわ」
「太陽が沈むんだよ」
「そうね」
「それだけのことさ。ただの夕陽さ」
「でも、すごいわ」
「冬の夕方には、よくあるんだ」
「ピンクのこんなすごい色って、はじめてだわ」
「冬の色だ」
「一時間くらい前は、オレンジ色だった」
「見たかったわ。残念」
「この色は、もう終わりにちかい色だろう」
「終わってしまうの?」
佐藤は、うなずいた。そして、
「ただの夕陽だよ」
と、言った。
「見とれてしまうわ」
「ぼくは、ごく最近も、見たような気がするな。都心の高いビルの窓から。西の空ぜんたいが、空想の世界のようなオレンジ色だった」
「なにをしてたときなの」
「仕事。クライアントのところへ、いってたんだ。高層ビルの、高い階にあってね。西の空が、よく見えた」
「見たかったわ」
「冬によくある、ただの夕陽じゃないか」
「三度目よ」
と、恵子が言った。
「え?」
「三度目よ」
「なにが」
「ただの夕陽、という言葉」
「いけないのか」
恵子は、返事をしなかった。

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他のストーリーでも、これと似たような会話がある。
太陽の色が白かオレンジかということで意見がわかれて喧嘩をするシーンだったはずだ。
いっけん、たいしたことのないような感覚の相違だと思う人もいるだろうけれど、私にとっても、恵子と同じで重要だ。
こういう感覚のズレはいずれ大きなクレバスとなって崩壊することになる。
同じ夕陽に見えたとしても、全く同じ夕陽はない。同じ瞬間は二度と来ない。





『D7のワルツ』
薄く切ったライ麦パン、ライムをしぼったアヴォカード、コーヒーメーカーで作ったコーヒー
濃いベージュ色のクーペ、車体の側面がウッド張りになった鮮やかなスカイ・ブルーのステーション・ワゴン

『煙が目にしみる』
ワイン・レッドのTバー・ルーフのついた2800ccの2シーター
オースティン・ニコルスのポケット瓶

『ドライ・マティーニが口をきく』
淡いミント・グリーンの1967年のオールズ・モービル
(ヴィスタ・クルーザー)
1965年モデルのプリズム・バラクーダ
深みのダーク・ブルーのボディ
内装のすべてが燃え立つような真紅のポンティアック・ルマンの
コンバーティブル
黄色いボディに黒い屋根のマーキュリー・マーキー
フォード・ファルコンの2ドア

『ホテル・ルーム1』
ドライ・ジンのはいったペリエ
淡いブルーの車体に屋根が濃紺の2800ccの国産の2ドア・ハードトップ

『ホテル・ルーム2』
リンゴ、ゼニアオイ、そしてバラの完熟実に、オレンジとレモンの皮を加えたハーブティー
銀色のレイベルが美しいブドウからつくるカリフォルニア製のウォッカ

『501 W28 L34』
銀灰色の4ドア・セダン
ドライ・シェリー
エクストラ・ドライのマティーニ魚貝と野菜をマヨネーズであえたものがつめてあるアヴォカードのサラダ
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by space_tsuu | 2008-10-30 00:00 | 赤い背表紙(短編)
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