撮って、と被写体が囁く

この本には、片岡さんが撮った写真をおさめたCDもついている。1998年発行の本なので、もう10年近く前の本だ。この頃に比べたら、カメラの進歩も飛躍的に発展した。
ボケたり失敗したりすることもなく、デジカメで素晴しい写真が撮れる。わざわざカメラ屋さんに行かなくても、自分で綺麗にプリントできる時代になった。その反対に、現像されてできあがってくるまでの、あのワクワクした気持ちを感じることはできなくなってしまったけれど。だから、たまには、私も一眼レフやトイ・カメラで写真を撮りたくなるので、そうする。

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第五章の「撮って、と被写体が囁く」という文章の中から、とても興味深かった部分を抜粋してみた。

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マネキンのポーズ、という表面を写真という平面で理解するとき、世界と写真との関係を、人は象徴的に体験する。世界はほとんどの場合、表面だけなのではないか。ほとんど、というひと言を僕は使っておく。内面もあり得るからだ。しかし、人はなぜ写真を撮るか、という問題を考えていくと、最終的には平面つまり表面の問題にいきつく。
世界のほとんどすべてを、かたち、存在、存在のしかた、ありかた、などで理解するために、人は世界のあれこれをかたっぱしから写真に撮る。常に白雪を頂いている高く険しい山を写真に撮るとき、その山の内部の岩石構造は問題にされていない。美人女優のポートレートを撮影するとき、彼女の喉の奥にあるはずの扁桃腺の出来ばえが、問題にされているだろうか。どちらの場合も、もっとも重要なのは、かたちやありかたといういちばん外側、つまり表面だ。
(〜 中略 〜)
ほんとの写真は内面にまで迫り、内面を感じさせてくれる、という意見はあっていい。ほんとの写真は内面を感じさせる、と思うのがその人の幸福なら、そう思うがいい。写真を見るほんとの力は内面をも感じ取る、という意見もあり続けるだろう。この意見に関しても、そう思いたければそう思っていればいい。

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(photo by kataoka)
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これを読んでいて、私は、ああそうか、これは「and I Love Her」に通じると思った。
ひとりの女性の外側を淡々と描くストーリー。それはまさに写真と同じではないか。
「僕の書く小説は写真だ、と断言していい。」と、この本のまえがきにあるように、
すべては、ここから始っているのだ。「and I Love Her」に限らず、すべてのストーリーは写真だ。
片岡さんは、なにも、内面が重要ではないと言っているのではない。
一番最後に「最重要な問題を、表面へ、そしてさらに表面へと、引き出し続けたのが、写真の歴史が果たした力だ。」と書いていることからもわかる。

それにしても、片岡さんは、実にたくさんのカメラを買ったようだ。
中には8ミリの映写機もある。片岡さんは、その映写機でも、たくさんの映像を撮ったようだが、きっと、それは、彼自身が書く小説をリアルに彷佛とさせるのではないかと、ふと思った。
私も昔から8ミリの映写機が気になっているのだが、読んでいて、また気になり出してしまった。




撮って、と被写体が囁く


第一章 空と猫たちの庭

バドミントンをした記憶
野球のバットを振った
木刀を振りまわしていた時期
七輪に炭をおこし、ずわい蟹の脚を焼いた記憶
コットを持ち出してその上にトランクス一枚で仰向けに横たわり、少しだけ日焼けしようとした試み
写真を撮った

十五分の一秒から二百五十分の一秒というような短い時間こそ、純度はほとんど百パーセントだと言っていい、正真正銘の現在なのではないか。

オリンパスのOM-1というブラック・ボディの一眼レフ
いただきものの初代のM-1のファィンダーを好みのスプリット一発のタイプに交換
ただでもらったシルヴァー・ボディのOM-1
OM-1N
ISO100の35ミリ・カラー・リヴァーサル

『太陽』という雑誌
『日本訪問記』という写真集

灰色を基調にした縞猫

コーヒー
ツナ・フレークの野菜スープ煮
シュレデッド・チーズ
牛乳
イワシのぶつ切りをゼリーのなかに混ぜ込んだ、ピルチャードという缶詰め
まぐろフレークの缶詰め
かりかりに乾いている茶色のキャット・フード

第二章 プリントして手に持ちたい、という願望

アルバムの図書館ていうアイディア

紙の上で世界をとらえる人、それが人間だ。
紙以外の領域でも、紙は人間にとって世界そのものだ。

ミゼットという小さな写真機とそのフィルム
八十四ミリ、五十八ミリの白黒プリント
アグファの白黒リヴァーサル

ニコンF4
イオスの1N

第三章 マクロあるいはマイクロ・レンズによる二次元のハワイへ

オリンパスのズイコーのマクロ50ミリ
ニッコールのマイクロ55ミリ
ニコンのF3

コーヒーや紅茶のための、精製された砂糖の入った小さな紙の袋
一九五○年代のアメリカ映画『地上より永遠に(ここよりとわに)』
クレージー・シャツ
テリヤキのための粉末ソース
トモエ・アメ(ライス・キャンディー)
ククイ印のパイナップル・プリザーヴの瓶
ルアウ・パンチと称する、缶入りの果実ジュース
パッション・オレンジ・パンチの缶

第四章 東京物語

ピンホールによるヴューアー・ボックス
ニコンF3のプリズムをはずし、シャッターを開放にしてフォーカシング・スクリーンを上からのぞき込むと、ピンホール・ヴューアーという魔法の、擬似的なヴァリエーションのひとつを体験することが出来る。

幻灯機
ラジオの組み立てキット
マジック・アイというサイエンス・フィクション的な真空管のようなもの
ヴァリアブル・コンデンサーの最盛期の、美しく精密で堂々としていた六連バリコン

ビューティという距離計連動式の写真機
アイレス35-ⅢA
トプコン35-S
プラック・ボディのミノルタのニューSR-1
トプコンという一眼レフ(ウインク・ミラー)
オリンパスペンFというハーフ・サイズの一眼レフ
アイレス・ヴァイカウント(レンズは1.9)
ペトリ1.9
ヤシカラピッドというハーフ・サイズ
リコー300S
エレクトリック2.8(株式会社ワルツ)
コーワ140(1.4)
オリンパス・エース
マミヤ16オートマット
へトリ・ハーフ
オリンパスペンS
オリンパス・オート・アイ
キヤノネットのQL-17
ニューSR-1という一眼レフ
コダック・インスタマティックX15-F
ヤシカのズーム8(スーパー8のフィルムを使う、三倍近いズーム・レンズの、自動露出の撮影機)
サンキョーのズームレフ8
フジカ8のT3
エルモ・ズームのオート・アイ
キヤノンのズーム8
ロンドというブランド名のエディター8
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by space_tsuu | 2007-05-05 00:00 | 白と黄の背表紙
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