子供の頃の私の部屋は、勉強机のすぐ前が窓になっていて、その窓を開けるとすぐそこが一階の屋根なっていて登ることができた。天気のいい日にはベッドのかけ布団などを、屋根に広げて干していた。しばらく干したその布団はポカポカの温かさでふわふわになり、とても気持ちよかったので、いつも屋根に敷いたままのその布団に仰向けになり空を心ゆくまでながめた。さえぎるものが何もない状態の空の中を流れつつ形を変えていく雲を見たり、白い月が薄くぽっかりと浮かんでいるのを観察することはこの上なく心地よかった。
この「昼月の幸福」という本を読み進むにつれて、私は心臓の鼓動が速くなっていくのを感じていた。書かれている内容が、まるで私の気持ちを代弁でもしているかのような内容だったからだ。昼の月についてこう書かれている箇所がある。 「青い空を底なしの背景として、白い小さな月が、遠くにぽつんと浮かんでいる。小さいけれども、その存在の感触は、絶対的に確かだ。あ、今日はあそこに月がある、うれしい、という気持ちに、僕はかならずなる。」 「午後の、淡く青い空の一角に思いがけなく僕が発見する、白い小さな月は、時間の無限を僕に見せてくれる。過去にむけても、そして未来にむけても、おそらく無限に存在するはずの時間のなかの、ほんとにどうしようもなく小さな一瞬を、その月を経由して僕は見る。無限という巨大なもののなかで、いまたまたまここにいる僕は、ふと見上げた空の白い小さな月を経由して、自分の小ささを自覚する。月を見たその瞬間、僕は、自分自身に関するさまざまな自覚のすべてが、自分の内部にむけて、強力に凝縮され集中していくのを感じる。結果として、自分がなにであるか、どのような存在であるか、はっきりとわかる。こういったことは、僕にとって、じつにうれしいことだ。」 私が自分自身の内部に漠然とかかえていた気持ちを、片岡さんが文字におこし文章として組み立ててくれているような錯角にふと陥った。そして読めば読むほど、この本は私自身なのだと強く感じていった。 つい最近、私が密かに憧れている女性が夢語りと称して月に関する短い文章を書いているのを読んだ。彼女は、ひとは昼の人種と夜の人種と2本の枝に分かれていて、夜の人間には月の欠片がよく似合うというようなことを書いていたので、私は「私も月が大好きで、月が見えないと思わずため息をつきたくなります。でも、昼の人種のような気もするし、どっちつかずの私です」とコメントをした。すると聡明な彼女は、私は昼の人であり、なんともかわいらしい昼の月だと言ってくれた。さらに、とてもチャーミングな、透明な満月だと。 私はそれを見て、ああそうか、月には昼月もあったのだと思い出した。自分をかわいらしくてチャーミングだなんて全く思っていないが、昼の月にたとえてもらったことが、この上なく嬉しかった。そして、昼の月である私はとても幸せな気持ちになった。 1 先日は月へ行ってきた 2 昼月の幸福 「思いがけない位置に昼の月が出ているのを見ると、僕は幸せな気持ちになる。淡くせつなく、うっすらとセンチメンタルな、そしてさらに言うならほのかにメランコリックな気持ちに支えられた幸福感を、僕は昼の月から受け取る」 3 三日月と遊ぶ 三日月によって片岡さんが輪切りにされるという架空のストーリーがとても好きだ。三日月を見ると、いつも必ずといっていいほど、このことを思い出す。 4 ロウソクと月の光だけで 5 人間の馬鹿さかげんのシルエット 6 今日は海岸で雲を見る 「いろんなことを次々に思うような思わないような、曖昧のきわみのような自由な状態で、刻々とかたちを変化させる大きな積雲を、僕は飽きることなく眺める。」 7 雲を眺める場所 「雲を見るときは、適度なスロープに寝て眺める。基本中の基本だ。」 8 空という偉大な絵画 「美しく晴れたある日の午後、地上のどこからでもいいからふと空を見上げるなら、そのときの僕は底なしの宇宙という空間を見ている。どこまでいっても空間が続くという、とりあえず底なしと言っていい空間を、僕は晴れた日の気持ちいい空として見物する。 地球という小さな星を背にして、底のない空間に僕は向きあっている。そしてその小さな地球は、どこまでいっても尽きることのない空間のなかに、ほんとにはかなく小さく、ぽつんと浮かび漂っている。」 9 空はもっとも信頼できる基準だった 10 孤独と不安と絶望の空 11 空の写真をこうして撮った 12 自分の意味が消えるとき 「自分の意味が消えるとは、自己懐疑の念にとって、基本的な大前提だ。」 13 今年の夏の、僕のテーマ 14 絶望のパートタイム・サーファー 「価値の絶対基準を海で確認しつつ、出来るだけ健康ですんなりとしたかたちで、心のなかに絶望をはぐくむパート・タイムのサーファー。」 15 アロハ・シャツと小説の主題 16 花を見ながら僕は思った 17 霧のドライヴイン劇場と三日月 18 彼女が雨を見る態度 樹齢が六百年を越える巨大な檜が雨を記憶していて、晴れた日には自らの葉で雨の音を再現してひとり遊びをしているという話が印象的だ。 19 表現された秋、という荒野を歩いてみた 20 くっきりとした輪郭としての寒い季節 21 これがクリスマスの物語 22 クロスワードの碁盤の目に消えた クロスワードは私も大好きだ。しかし、日本語しかできないのが悔しい。 23 銀座で夕食の約束 私も日本女としての美しい歩き方を身につけたい。 24 もっともスリルに満ちた主題- それは結末というもの 25 美しい顔は物語として読める 26 オードリーの記憶 27 僕もマリリンを写真に撮った 28 ロミー・シュナイダーの断片 29 D・ホックニーの本で遊んだ 30 ザ・ビートルズから届いた 31 一月一日、消印はモンパルナス 32 タイプライターの追憶 そういえば、私は中学生の時にタイプライター・クラブというのに入っていたことを思い出した。 33 フィオルッチのキャンディーを食べたことがありますか こういう写真が大好きで、真似して撮ってみるが、なかなかうまくはいかない。 34 そのときの、僕のコルゲート 一本の歯磨き粉でも、撮り方は無限にあるのだということを、この写真から学んだ。 35 手帳にはさんだ目玉焼き この写真を見てから、いつも、雑誌の中などに目玉焼きの写真がないか探しているのだが、なかなか見つからない。 36 本を開いたらチューリップが咲いた 37 ノートに切り抜きを貼る 38 日付、という不吉なもの 「日付けは不吉だ。ただ単にひとつの日付けでしかなくても、それには意味があり過ぎるからだろう。あるいは、ただ単なるひとつの日付けではあっても、そこに読み取ることの出来る意味は、無限に近くたくさんあるからだ。」 39 光景のなかの個人的な文脈 「そのときその場所での自分自身を撮影した写真よりも、はるかに強くそのときその場所での自分を感じる写真、というものがここに四点ある。」 40 ストロベリー・スカート 41 日本がまだまともだった頃の本を 長谷川四郎『遠近法』
by space_tsuu
| 2005-05-07 00:00
| essay
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