意地悪ポケット本

もうひとりの片岡さんであるテディ片岡の『意地悪ポケット本(こんな楽しみ、やめられない)』
しとうきねおさんとの共同作業によるウィットに富んでいてちょっとHな文庫本だ。

最初にこの本を読むにあたっての心得が書いてあったりする。たとえば「手にとるたび、軽く会釈すること。かといってかしこまりすぎぬよう、内容を十分に味わうだけの落ち着きを持ちたい。」とか(笑)
中の文章はどちらが書いたものかは書かれていないので、これは片岡さんが書いたものだろうかなどと推理しながら読むのもまた面白かった。

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「石ケンについての四次元的思考」で石ケンはたとえば一粒の小さな錠剤に姿をかえて、体が汚れたなと、と思ったらその錠剤をひとつ飲むとか、レーザー光線が石ケンになって、その光線を浴びるとアカや死んだ古い細胞がとれてしまう工夫について書かれていたりする。きっとこのあたりが片岡さんのアイディアだと確信している。
『ガラス・コップにおける過去・未来』というのもきっと片岡さんに違いない。そのまま引用させてもらう。
「ガラス・コップは、空のまますごした過去と、水をたたえてすごした過去を持ち、現在もまた、過去と同じようにふた種類ある。そして未来は、ガラス・コップが割れて砕けた瞬間からはじまるのだ。
そして、空でいるかぎり、、あるいは、水をたたえたままでいるかぎり、ガラス・コップは永遠に現在だけをつづけていくことになるのだ。伏せられているとき、あるいは、横たおしになっているときのガラス・コップは、どう理解すればよいのか。」

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最初のページのほうに載っているかわいい片岡さんのイラストを微笑ましくながめつつ、私は真剣にこのことについて考え始める。伏せられている、あるいは、横だおしになっているということは、異次元ということとして理解すればよいのではないか、またはワームホールの中の「無時間」とか、いくつもある別の宇宙の中のひとつなど、いろいろ浮かんでは消えていくが、もう少しましな考え方があるのではないかとさらに思考は深まっていく。
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by space_tsuu | 2005-02-09 00:00 | テディ片岡
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