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カヌーで来た男

この『カヌーで来た男』は、カヌーイストの野田知佑さんに片岡さんがインタヴューし、それに佐藤秀明さんの写真がふんだんに盛り込まれた本だ。

スペインの山の中を歩いていたら山賊が出てきてナイフを見せられたが、野田さんもナイフを見せた。かねめのものをなにも持っていないということがわかったのだろうか、その山賊が逆に御馳走をしてくれたというエピソードには笑ってしまった。
夏には湖にとびこんで体を洗い、霧がまだかかっている水面をながめ渡し、ウイスキーを飲む。読んでいると、なんともうらやましくなってくる。

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マッケンジー川を三ヵ月漕いだ時に、野田さんにとっての理想的なこと、どういうことが自分にとって面白いのかがわかったということについて、こう書いている。
「酒を飲むのも飲まないのも、どちらも理想的なのだと、わかった。(笑)酒屋がなくてね。ひと月だけ、酒があったのです。その後は二ヵ月、ぜんぜん飲まなかった。それに、白夜でしょう。本がいくらでも読める。川幅は、五キロという広さです。ときどき、十○キロほどに広がってね。流れが早い。だから、漕がない。本を読みながら、流れにまかせて、ずうっと下っていく。酒は飲まない。米は食べない、魚と鳥だけですから、痩せてくる。体調はとてもいい。そうすると、頭が冴えてきてね。とても充実してるわけです」

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一方で、日本じゅうの川はだいたい一年で駄目になってしまうという。野田さんの三十歳くらいから先は日本の川が終末をむかえるのを自分も流れつつ見届けているようだったそうだ。
それから何年がたつのだろう。日本の川には、もうまともな川は残っていないだろう。
川をまっすぐにして、花や草のあった土手をコンクリートで固めて、整然とした遊歩道を作ったりすると、人々は川がきれいになったとよろこぶ。それは人の心がSF的になってしまったからだと野田さんはいう。
川だけではなく、まっすぐにして形をそろえられたキュウリや、きれいに箱に並べられたイチゴなどはSFの典型かもしれないと。日本人は、ほんとうは自然が嫌いなんじゃないかという野田さんに、片岡さんは、日本人は愛というものを知らないのだとつけ加える。愛とは認識であり、ぜんたい的な認識が、愛なのだと語っている。

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そして、この本の後半部分では、片岡さんが川がなぜこんなことになってしまったのかという説明を詳しく話してくれている。専門的な知識を身につける必要はなく、ごく基本的な勉強だけでも、かなりのことを楽に知ることができるのだという部分を読んで、なるほどなとうなずいた。

それはそうと、以前、一度だけ友達が所有するカヌーを漕いだことがあるが、この本を読んでいたら、また漕いでみたくなった。
前に漕いだのは湖だったが、この本を読んでからカヌーを漕げば、またなにかしら違う感慨にふけることになるのかもしれない。
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by space_tsuu | 2007-07-02 00:00 | collaboration

Ambient Hawaii

『彼を感動させるディテールが写真の中にある。ディテールのかたちと色は、おそらく彼の見たとおりだ。雰囲気も半分ほどは伝わる。もっとも伝わりにくいのは、撮ったときの彼が感じていた、その場のハワイらしさと風の感触とその香りだ。』

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これは、平間至さんがカウアイ島で撮った写真集の中に特別収録された片岡さんのエッセイの中から抜粋した文章だ。
この『Ambient Hawaii』という写真集は、パルコギャラリーでの写真展がきっかけになって発表されたものだそうだ。

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写真集とはいっても、一枚一枚が横23.9センチ、縦17.3 センチのポストカードになっている。
その中に、薄くて透明な紙に深いブルーの文字で印刷された片岡さんのエッセイがある。
私も一度だけハワイに行ったことがあるが、その時はハワイ島だけで過ごした。次はカウアイ島にも行ってみよう。ハワイらしい太陽と風の香りを感じてこよう。
そして、私も、私だけのハワイをたくさん撮って帰ってこよう。
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by space_tsuu | 2006-09-08 00:00 | collaboration

キス・キス・キス

52人の写真家たちが撮った様々なキスシーンの写真に、各界の有名人たちのひとことが間に添えられている。様々なシーンの中の、さりげなく、それでいてドラマのあるキスの写真を堪能することができる


『KISSは物語です。
KISSの瞬間が物語であると同時に、そこに至るまで、
そしてそれ以後のふたりの物語が、小説を書く人としての僕を、
その物語を書くことへと、そそのかすのです。』

最初のページにある、この片岡さんの文章が助走路になって、そのまま「OとKの微妙な中間」というストーリーとともに、キスという物語の空へ飛び立つ。

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見ていくと、ほとんどの写真がモノクロだ。モノクロであることが、余計にそのキスシーンの背景についての想像力をかきたてられるような気がする。キスは物語なのだから、見る人それぞれが自分と写真との間に自由に空想をふくらませたほうが、より物語の幅が広がる。
この本の中のモノクロのキスシーンの写真を見ていると、その物語の背景を想像すると同時になぜか懐かしい過去へタイムスリップしていく感覚も味わえる。自分がまだ生まれていなかった時代の、ある日ある時に迷い混んでいくようだ。と同時に、それはまるで、白黒の映画の中に入り込んでしまったような感覚でもある。

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最後は岡部まりさんの文章でしめくくられる。
『キスは、ずっと続けているわけににはいかないところがいい。キスは「ひととき」だからいい。』とある。
ロミオとジュリエットのふたりと、一年のうちほんの十日間しか花を咲かさない桜をだぶらせて、はかないひとときを思ったのだそうだ。
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by space_tsuu | 2005-07-25 00:00 | collaboration