カテゴリ:赤い背表紙(中編)( 19 )

心のままに

この物語は、ひとり用の折りたたみ式のカヌーに乗った青年と純白のクーペに乗って川までやってきてランチを食べている彼女が冒頭で出会うシーンから始まる。
片岡さんの書く物語の中には、興味をひきつけるものがたくさん出てくる。
この本は昭和六十年二月二十五日初版となっていて、その時にもかなり気になったはずなのだけど、今こうして読みかえしてみてもまだ、興味津々のものが多い。

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カヌーもその中のひとつだ。
カヌーは友達が持っているので、日本で一番深い湖に行ってカヌーを漕いだ経験はある。ボートと違って、水面がもっと近くに感じられて、湖の中央付近まで漕いでいって水面を見ると、怖いくらいの蒼に、一瞬体中に緊張感が走ったことを思い出した。
また漕いでみたい。
この物語にはさらに二人用のグラマンのカヌーというのが登場する。さっそく調べてみると、私の大好きな雰囲気のアルミのカヌーを発見した。
いつかこのカヌーで、またあの深い蒼の中に漕いでいってみたいという衝動がふつふつとわき起こってきてしまった。

もうひとつ私が昔から気になっている8ミリカメラも話の中に出てくる。8ミリカメラが登場するのではなく、8ミリのフィルムを見るという場面がある。そこを読んでいて、そういえば8ミリカメラで何かを撮りたいと思ったこともあったなということを思い出した。
8ミリ風に撮れるアプリというのもあるようだけど、今の便利な世の中で、あえて8ミリカメラで撮ってみるというのは、どんな感じだろうか。

中古の8ミリカメラを買って、グルマン社製のアルミのカヌーで日本一深い湖の上を漕いでいく。そして、深い深い蒼を撮影してみる、というアイディアは実行に移せるものだろうか。

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表紙を開いたところにある文章は、こんなふうに書かれている。
そのままここに書き写しておこう。

『物語がはじまったとき、人間関係はすでに解体されています。しかし気持ちはつながっています。どの人にも新しい関係ができつつあるとき、もとの関係の当事者たちが、ある夏の日、ひとつのところにふと集まります。解体するにせよ新しく生まれるにせよ、関係の変動こそ、ドラマなのです。夢なのです。』

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by space_tsuu | 2013-09-13 00:00 | 赤い背表紙(中編)

タイプライターの追憶

写真を撮ることが昔から好きだった。
今思い返せば、写真に興味を持った最初の記憶として幾度も呼び起こされるのは、
画面の中に六角形の光が数珠つなぎになったような写真を撮ってみたいと思ったことだ。
中学か高校くらいの時に父のカメラを借りて、何度か試しに撮ってみたりしたがうまくいかなった。
写真部に入ろうかなどとも考えたこともあったが、実行に移さなかった。

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大人になってからは、ただ気のむくままに、なんの知識もないまま適当にその時に気にいったカメラを買ったり、水中カメラを買ったりしたこともあった。
ある日、インターネットの中で、不思議な写真を見つけた。
真ん中が丸く明るく外側の四すみに向かってだんだん暗くなっていく写真だ。
なんだこの写真はという興味からいろいろ調べてみると、ロモというトイカメラの存在を知った。
ロモを買えば私もこんな素敵な、雰囲気のいい写真を撮れるに違いないと思った。
そして買ってみて、写真の出来映えを見て愕然としてしまった。
現像してできあがってきた写真はどれも大失敗だらけだった。
その頃から、ますます写真に興味を持ち始めて今にいたるのだが、ふとある日、「タイプライターの追憶」をぺらぺらとながめて、ものすごく驚いてしまった。

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大好きなこの本をめくればめくるほど、この中の写真たちが私の中にいかに影響を与えているのかを発見することができる。
フェリーの上で撮った写真、ホテルの一室でのベッドの構図、ベッドのわきに置かれた電話、テーブルに置かれたキー、街灯の様子。
私が撮った写真と構図がほとんど同じだ。
知らず知らずのうちに、私の中に蓄積されつつあった構図たちは、この本の中にあった。
何度ながめても、いい。そうだ、私はこういう写真が撮りたいのだとしみじみ思う。
また写真を撮りにどこかに旅に出たい。

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by space_tsuu | 2011-03-10 00:00 | 赤い背表紙(中編)

and I Love Her

『なにをしているというわけでもないけれど、なにか自分好みのことをしている、みじかい不思議な自由時間。誰もが体験している時間ですし、とても大切なひとときなのですが、すぐに消え去り忘れてしまいます。こんな時間をひとりの女性の一年間のなかからひろい集めたのが、この本です。愛する彼女の伝記だと、著者は言うのですが。』

扉の文章だ。

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片岡さんの本を読むきっかけになったのが、この『and I Love Her』だ。
書店でなにげなく手にとってぱらぱらと読み始めた時の静かな衝撃を今また思い出している。
少しだけページの上部に余白があり、文字の色はダークブルーだ。
ひとりの女性の行動をただ淡々と書きつづっているだけのような文章を私はこれまで読んだことがなかった。
「なんだ、この小説は」と思いながら、買わずにはいられなかった。
通勤中の電車の中やアパートの部屋で夢中になって読んだ記憶が蘇ってくる。

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ショーツ一枚に春のハイヒール・サンダルだけの彼女が鏡の中の自分を見ながら冷たいビールを喉に流しこむ。
微妙にくすんだオリーヴ・ドラブ色のダッジ・チャレンジャーに塗れてはりついている桜の花びら。
ビーフ・ヌードルスープ、タバスコを数滴ふりかけてかきまぜたブラディ・メリー、バッファロー・グラスという名の草の香りをつけた、不思議な味のするウォッカ。
完全に自由だった時間の証明のような陽焼けのあと。
ゴム動力で飛ぶ模型飛行機。
読みすすんでいくうちに私はこの本の世界の中に完全にとりこまれてしまった。
そして、まだいぜんとして片岡義男という世界の中を探検しつつ、いつまでもそこから出たくないような気持ちが続いている。
この時おそらく、私の中に、すすむべき道の小さな芽が生まれたのだろう。
私の理想の終点は漠然と決まった。

この『and I Love Her』の主人公の女性は実在の人物だそうだ。
今どうしているのだろうか、とふと思ったりもするが、この本の中の「彼女」は、私の中では永遠なのだ。

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by space_tsuu | 2010-02-26 00:00 | 赤い背表紙(中編)

長距離ライダーの憂鬱 -オートバイの詩-

サム・フランシスのことをふと思い出して、片岡さんのどの小説の中に書いてあったのかを一冊一冊最初のページから調べてみた。
どこかの高原の美術館でサム・フランシス展を見たというストーリーだったはずだというのは思い出すのだが、
なかなかそのストーリーに出会わない。
青い背表紙だったかもしれないと、それも調べてみた。
思い込みは見事にはずれた。まさかオートバイの出てくるストーリーだとは思っていなかった。
サム・フランシスの英語によるアフォリズムの小さな本を、主人公は買わずにそこでおぼえてしまう。
私だったらおそらく買っていただろう。というか、今あるなら欲しいくらいだ。
英語で読んでみたい。

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磨かれたステインレス・スティールの楕円のなかに写しとられている自分を、逆の遠近法のなかで楽しむ彼女というのは、長距離ライダーの憂鬱の中でのことだったかとあらためて思った。
もしかしたら他のストーリーやエッセイの中にも出てきているかもしれないが、片岡さんの小説を読んだことのあるライダーならおそらく一度や二度はこんな状況に出会っているはずだ。
もちろん私もその中のひとりだ。
鏡の中の世界に入りこんでしまった、現実だが非現実のような世界にほんの少しだけひたりながら走る。
おそらくまたそんな機会があるなら、サム・フランシスのアフォリズムも同時に思い出すことになるかもしれない。

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この小説を久しぶりに読み直すと、主人公の気持ちの動き方があまりにも自分と似ていることに驚いた。
ずっと片岡さんの小説を読んでいるせいで、自分がそういう考え方に近づいたのかと一瞬思ったが、決してそうではない。
もし、誰かにあなたという人はどんな人か説明してくださいと言われたら、この本をだまってさし出してしまうかもしれないと思いながら苦笑した。

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by space_tsuu | 2009-09-23 00:00 | 赤い背表紙(中編)

彼女から学んだこと

『さまになった外観は、ひとつのシーンをつくるだけではなく、内面への愛のきっかけとなりうるのだということをはじめに教えてくれたのは、彼女なのだ』
これは扉の文章だが、あとがきの最後も、この同じ文章でしめくくられている。
この『彼女から学んだこと』に登場する彼女は、おそらく『and I Love Her』の彼女と同一人物だということは、読んだ人なら誰でも気づくはずだ。

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彼女の外観にかかわるメモを彼女自身が、英語、フランス語、日本語をたくみに使いわけ、一年かかってメモをとり片岡さんに送ってできた本が、この本だ。
カバー写真と中におさめられている数々の写真は中道順詩さんによるものだ。
ぺらぺらとページをめくり、写真をながめていると、やはりここにも私の中に蓄積されている構図の断片を驚くほど確認することができる。

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撮影技術の違いは言うにおよばないが、私はこういう写真が撮りたいし、これからもきっと自分でも知らぬ間に似たような撮り方をするのだろうなと思いながら、新しいカメラの購入を検討してみたりする。

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by space_tsuu | 2008-12-11 00:00 | 赤い背表紙(中編)

彼女が風に吹かれた場合

このストーリーは、あとがきの会話の中にもあるように、主人公がより強く「ひとり」になっていくということがテーマのようだ。
肯定的なアイディアを実行するパートナーとして、誰か相手が必要だけれども、結局それは、「ひとり」だということをより強く自覚し、さらにその「ひとり」に磨きをかけ、より深く、よりくっきりと「ひとり」という本質を追求していくためだ。

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好きな会話を抜粋してみることにする。

「九月なかばなのに、完全に秋ね」と、言った。
「うん」
「季節がほんのすこし変わるだけで、おなじ景色でもまったくちがって見えるわ」
「景色の、どこが変わるのかしら」
「見る人の気持ちが、変わるんだ」
「そうお?」
「きっと」
「なぜ?」
「光が変化するから」

ここに書き出しながら外を見ると、すでに秋は知らぬ間にいなくなり、冬になりたての夕方の光がそこにあった。

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by space_tsuu | 2008-11-19 00:00 | 赤い背表紙(中編)

彼のオートバイ、彼女の島 2

「これは映画です。『彼のオートバイ、彼女の島』を原作に、原作者自身が一本の映画を想像のなかでつくり、そのまま描写したという、不思議なこころみです。上映開始のブザーが、聴こえます。」
と扉の文章にもあるように、これは小説ではなく、シナリオだ。
厳密に言うと、シナリオでもないかもしれない。アイディアの提示と言ってもいいかもしれない。

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読んでいると、映画監督の心の中にあるいくつものシーンをこっそりのぞいているようで楽しい。
いつも書くストーリーに少しだけ説明をつけ加え、さらにカメラワークに関しても細かく書かれているので、まるで自分がカメラを持っているような気分を味わえる。
そして読みおえた時には一本の映画を観終わった時のような不思議な感覚を味わうことができた。

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by space_tsuu | 2008-11-17 00:00 | 赤い背表紙(中編)

吹いていく風のバラッド

『四○○字詰めの原稿用紙、というものがあります。この原稿用紙で、みじかくて3枚、多くて20枚足らずのスペースにおさめた興味深く美しいシーンを、無作為に連続させてできたのが、この本です。文庫本による、楽しいゲームのひとつです。』

と、扉の文章に書かれているように、そのゲームを私もひさしぶりに楽しんだ。

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カウボーイ・スタイルのコーヒー、暮れていく無人のプラットホームでシャンプーをするライダー、真っ青な空と椰子の木、オートバイの熱いオイル・タンクにガムテープで貼りつけたインスタント・カレー、缶詰に入った輪切りのパイナップルを食べるミュールにショーツ一枚の彼女、夫をリヴォルヴァーで打ち抜く彼女、雨の中、開いたままの傘をわきに置き、小川の中を歩く少年、海風を受けながら会話をする老人と少年、白い雲がひとつだけ浮かんでいる南カリフォルニアの空。
そのシーンのどれもに風は吹いている。地球上のどこへでも風は移動していく。
ふと、風が一番気ままで自由な旅人だということに気づく。この本は、そんな風のような人たちのストーリーだと思う。

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by space_tsuu | 2008-03-01 00:00 | 赤い背表紙(中編)

彼らがまだ幸福だった頃

「ホテルの部屋は、他人によって用意され整えられた空間だね。誰がどんなことに使ってもいい空間だから、はじめからホテルの部屋は、中立なんだ。しかも、さっきみたいに、人が使った形跡のない、整えたままの部屋だと、なおさら中立の空間になる。中立とは、つまり、そこでどんなことがあってもいいということだし、どんなことを起こしたいかは、写真を見る人の自由な夢なんだ」

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あらゆる光のなかでこの女性を見たい、と彼は思った。真夏の青い空の下、海辺の鮮明な光のなかではじめて彼女に会ったとき、彼はそう思った。見せてあげる、と美しい彼女は言う。徹底的に見てほしい、と彼女は思う。彼と彼女と光との、これ以上ではありえないほどに幸福な関係のはじまり。

これは、カバーの扉の文章だ。
こうしてはじまった彼らの幸福な関係は、『彼らがまだ幸福だった頃』というタイトルを重ねて想像するなら、その後は、幸福ではなくなってしまったのだろうかと考えた。

このストーリーの中に登場する彼女は、将来なににもなりたくないと思っている。だから、この中では無職であり、絵のモデルをしていたりする。なににもなりたくないということは、誰かの妻になったりすることも含まれている。自分をできるだけあいまいなものしておきたい、要するに、自分になりたいという。自分に対する枠や限定のようなものを、出来るだけすくなくしてきたいという意味だそうだ。
一方の彼も、彼女と似ている。彼と彼女は似たものどうしだ。
そう考えると、やはり、彼らは、いずれ別れるしかないのだろう。
しかし、彼らにとっては、それでいいはずだ。幸福だったのだから。

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ストーリーが始る前に、若月勤さんのポートフォリオが収録されている。片岡さんは、本の内容と写真が合っていなくて、書き直したい、僕の失敗だったと言っているのを「ぼくのホームページ」の本人による解説のところで読んだ。
写真はどれも素晴しいから、一冊の本の中に、片岡さんのストーリーと、若月さんの写真集が収録されていると思いながら見ると、二倍得したような気分が味わえる。
だから、片岡さんが失敗したと言っても、私にとっては、失敗でもなんでもない。
でも、もし、書き直して再版されることがあるなら、それは、とても嬉しい。

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by space_tsuu | 2007-03-02 00:00 | 赤い背表紙(中編)

恋愛生活

男の体のなかに女の心が入っている直子、女性ホルモンの注射を定期的にうって、男と女のバランスがほどよく両立している自分を好いている紅子こと後藤雄一郎、直子と逆で、女の体のなかに男の頭がはいっている杏子。
裕子の死によって、性別を超えた世界へのドアは開かれ、仁美は恋愛の本質を知る。
本来なら刺激的であるはずの内容だが、さらりと読めてしまうのは、やはり片岡さんの書き方がそうさせるのだろう。

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このストーリーの中に、裕子が残した最初で最後の短編がひとつ入っている。その主人公はふたりの女性だ。彼女たちが、寝室のベッドの上で、泳ぎ方の練習をするシーンが面白い。
泳ぐコツは、心理をブロックしているものを取り除くといいのだと言う。その心理をブロックしているものは、重心であり、それは心理上の重心でもある。へその中に入っているビー玉をひとつ想像させ、それをみぞおちまで移動させる練習をさせる。
すると、誰もが水に浮くようになるというのだ。
私はもう随分泳ぐということをしていないけれど、今度ベッドの上で試してみようかという気になった。

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by space_tsuu | 2007-02-11 00:00 | 赤い背表紙(中編)