カテゴリ:赤い背表紙(長編)( 5 )

幸せは白いTシャツ

この『幸せは白いTシャツ』を買って読んだ時、私はまだオートバイの免許は持っていなかった。
私がこの本に出会ってからおよそ三年後くらいに、中型の免許を取ったことが、免許証を見て確認することができた。

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実際にオートバイに乗ってから読むのと、乗っていない時に読んだのでは、格段に感じ方が違う。あらためて読み直してみると、実際に自分がオートバイにまたがっている時の振動や排気音、暑い日差しでTシャツから出ている腕が真っ黒に陽焼けしたこと、土砂降りの中、ずぶぬれになりながら走ったことが鮮明に思い起こされてくる。
経験はいつでも想像をはるかに超える。五感で味わったことは、実感として体のすみずみに残っていて、ある時、ふと鮮やかによみがえる。経験したことのないことには実感も共感もともなわないのだと、この本が教えてくれる。
次に抜粋したぴかぴかのタンク・ローリーについて走ることも何度か体験したことがある。そのたびに、ここに書かれているような光景に自らが入りこんで体験しているということを楽しむことができる。

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『ぴかぴかのタンク・ロリーのうしろについて走った。タンクぜんたいがクローム・メッキしてあり、陽ざしを受けとめて鋭く輝いていた。タンクの後部も、ぴかぴかだった。円型のぜんたいが鏡のようで、鮮明にうしろの光景をうつしていた。ついて走っている自分とオートバイとが、そこにうつっていた。円型のまんなかにむけてすこしふくらんだ凸面なので、自分そしてさらに自分のうしろの光景が、広角レンズのように広くうつった。タンク・ロリーは前方へむかって走り、そのうしろについている自分も、タンク・ロリーとおなじスピードで前へ走っていきつつある。視界の両わきの光景は、したがって、後方へ流れていく。だが、タンクのうしろにうつった光景のなかでは、いま自分たちがうしろへ置き去りにしつつある光景が、前方へと、丸い凸面鏡となったタンク後部の周囲へ、吸いこまれるように消えていった。前へむけて走っていくタンク・ロリーと自分、そして後方へ流れ去っていく両側の光景。そこへさらに、タンクにうつっている後方の光景が加わってしかもその光景は前方へ消えていく。タンク・ロリーはディーゼル・エンジンの排気を濃く吐き出していたが、それにもかかわらずしばらくうしろについて走って充分に面白かった。』

そして、三好礼子さんというモデルになって登場している女性の写真はどれも素敵なのだが、なぜかこのオートバイを洗っている写真がずっと心に残り、いつか私も自分のオートバイをこういうふうに洗うんだと思ったことを思い出した。

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この物語は長篇連作シリーズ・オートバイの詩(2)夏として書かれたようだ。扉には、次のように書かれてある。
『時間の経過は誰に対しても均等で平等です。問題は、その時間のなかでなにをするかです。美しい彼女は旅に出ました。旅に出ているあいだに両親は離婚し、帰る家がなくなってしまいました。旅の行くさきにも、あてはないのです。すくなくとも二年は帰らないという意思があるだけです。旅の彼女に、陽が照り風が吹き、雨が降ります。それだけで、彼女は充分に幸せなのです。』

そして、(1)は秋「ときには星の下で眠る」、(3)は春「長距離ライダーの憂鬱」だ。(4)冬が「淋しさは河のよう」とタイトルだけは決まっていたのだけれど、出ないまま今に至っているようだ。ストーリーもひょっとしてできあがっているか、途中まで書いてそのままだったりするのだろうか。。淋しさは河のようとは、どういうことなのか。
季節は冬だ。その冬の寒さの中、ライダーが河にそってオートバイを走らせたりするのだろうか。そして河のそばで暖をとりながら一杯の紅茶を飲んだりするのではないか、などととりとめもなく想像をふくらませてみたりする。もちろんそんなに単純な話ではないだろう。とても気になる。


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by space_tsuu | 2013-09-22 00:00 | 赤い背表紙(長編)

ボーイフレンドジャケット

「ある日、ボーイフレンドが着ていたジャケット。気にいったので私が着てみた。それ以来、私のもの、ボーイフレンドジャケット。
私と彼は物語に巻きこまれた。結末は誰にもわからない。ふたりで起、承、転、結を体験します。この著者だけに書ける、知的にひねった、ほろ苦い、くやしいほどさっぱり、短編のような長編。」
扉の文章だ。

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読み終えると、まさにくやしいほどさっぱりとしたふたりだ。
最後のページに、三枚の写真を見ながら、「私たちのストーリーは、そこからはじまったのよ」「発端だね」「よく見ておいて」という台詞がある。そして、そのあと、主人公の女性がステーション・ワゴンを発進させるところで終わる。
ここから始まるであろうという場面で終わるストーリー。
素晴らしい。想像は無限に広がる。
この時、主人公の男性が着ていたジャケットは、さまざまな色を複雑に織りこんだ絹のジャケットだ。彼は彼女に似合うのではないかと思いながらはおって家を出た。そして、彼女は彼はそのジャケットを気に入り、記念日の証としてくださいと言う。そして彼はそれを彼女にあげる。

ふと私だったら、どんなジャケットを素敵だとほめるだろうかと思った。きっと、ライダースジャケットか、フライトジャケットだろうなと思った。

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by space_tsuu | 2008-05-16 00:00 | 赤い背表紙(長編)

ときには星の下で眠る

あとがきで室謙二さんが「片岡義男の文章は甘くはないがセンティメンタルだ」と書いている。さらに、「彼の小説は、いいハワイ音楽に似ている。トルストイの圧倒的な小説とかベートーベンの音楽は、この地球上のどんなところでも、どんな気候の中でも、どんな時間に、どんな状況で読んでもあるいは聞いても、やはりトルストイの芸術ベートーベンの芸術で、それがそういう芸術の欠点でもあるのだが、ハワイ音楽とか片岡義男の小説は、読み手聞き手の方の条件と送り手の方の条件が合わなかったら、まったく意味がないし楽しめない。書き手と読み手が一つの気分の中に入らないとだめなのだ。」と言う。

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そう考えるなら、私は片岡さんが送ってよこす世界の中にどっぷりとはまった人間なのだろう。片岡さんがつくり出す世界の中に取り込まれ、撹拌でもされるように、その中でいつしかひとつになっていく。片岡さんが送ってよこす条件に、私の中にあるなにかしらの条件が反応して引火し、一緒になって燃え上がる。

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そしてそんな片岡さんの小説を読むには、自然の力や季節感と地形の感じられる場所がいいと力説している。
片岡さんの小説には、気象情報が細かくていねいに織り込まれることが多い。読んでいるだけで、空気の温度差や、風の香り、湿度にいたるまでリアルに感じられる。いつか、何冊か持って、自然に囲まれた場所で読んでみようか。
そして、この小説の中にある数多くの写真を見ながら、読むのは、こんな場所がいいかもしれないと思った。

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by space_tsuu | 2006-09-14 00:00 | 赤い背表紙(長編)

湾岸道路

実在しない彼女と彼だが、私の理想の筆頭にあげられるふたりだ。
芙美子さんという女性は心によどんだところがひとつもない。
気持ちがしっかりしていているから、悩みもない。
彼女は、杉本さんのおかげで、ついに自分というものを発見できた。
素敵だと思うと高価な品でもポンと買って夫の通帳を空にしていた買い物魔の彼女だったが、どこか本当の自分ではないような感覚だったのではないだろうか?
その空虚な部分を探し求めるために買い物をしていたのだと思う。
それが、杉本さんとの別れをきっかけに、オートバイに乗ることや自分自身の身体を鍛えることによって、ついに本当の自分というものの輪郭をくっきりと表面に現すことができたのだと思う。

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杉本さんは、考え方が面白い。
格好いいと思ったことをすぐに実行してしまう。
芙美子さんのようなとびきりの美人と、あっという間に結婚してしまうのが格好いいと思い結婚するが、離婚してどこかにいってしまうのはもっと格好いいと思いつき、そのとおりにする。
我がままな子供のようにも思えるが、自分というものを自分自身でしっかり把握していて、自分の理想像に限りなく自分を近付ける努力もする。
このふたりを合わせたような人に私はなりたい。

片岡さんの小説には様々なオートバイが出てくるが、「湾岸道路」ではハーレーだったので、私も乗るならハーレーだと決めた。
この「湾岸道路」を大型免許の取得の時もお守りがわりにバッグにしのばせていたほどだ。
以前友達に貸したことがあるのだが、戻ってきた時に表紙がかなり白っぽく擦り切れたような状態になり、角も今にも切れそうになっていたので、少し悲しかったがテープで貼っている。
どこか古本屋でで見つけたら表紙だけを変えるためにもう一冊買おうかななどと思いつつ、今もこのままだ(笑)
(この文章を書いた時には買っていなかったが、今、2013年夏には綺麗な湾岸道路をもう一冊手に入れて持っている。)

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扉に書かれた文章にこうある。

「元気でいろよ」のひと言を残して、彼はあの年の夏の彼方へ消えてしまった。
あとにひとり残された彼女としては、生まれつきの才能を努力で鋭くみがきあげ自分もどこかへいっしまうほかに、充実した生き方はなかった。だから彼女は、そうした。
ふたりともいなくなり、陽が射して風が吹き、これ以上のハッピー・エンドはどこにもない。

この文章は片岡さん自身かが書いたもので、この時はこう書くしかなかったのでこう書いたそうだ。湾岸道路を読んだ人はきっと、芙美子さんが杉本さんに捨てられて、自分も同じようにハーレーに乗ってどこかに消えてしまうストーリーだと思う人が多いだろうが、実は違うそうだ。

彼女が絶対必要で、彼女がいなくては生きてけない彼が「元気でいろよ」と強がりを言って去っていく。彼にしろ他の誰にしろ、誰をも必要としなくても、ひとりで平然と生きていける彼女が、自分のもとを去っていった男に、ほんの冗談のつもりでもう一度会えると面白いかもしれないと思い、自分もハーレーでどこかに消えていくというストーリーなのだそうだ。

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by space_tsuu | 2004-08-15 00:00 | 赤い背表紙(長編)

限りなき夏1

気になった箇所を抜粋してみた。

「宇宙という大空間にぽっかりと地球がうかんでいて、その地球という惑星にとってもっとも特徴的なのは、海なんだ。地球をとりまいている大気という巨大な空間が、地球といっしょになって、地球のためのいろんな気象をつくりだす。風がおきて、その風のエネルギーが、海に波をつくりだす。」
「いいかい、ムーラ。地球の表面は、どこでも宇宙の空間に接してるんだ。
カンザス州のウィチトーだってそうなんだが、大平洋の波は、風というエネルギーとつながっているから、宇宙とのつながりはことさら強いんだ。」
「大平洋、そのなかの小さな島、そしてその島の珊瑚礁に盛り上がる波、というぐあいに、宇宙との接点を鋭くとがらせていくのだな、段階的に」
「まさにそのとおりだ。大気の気象が風をつくり、その風が波を生むんだから、波は宇宙のエネルギーだと言っていい。波に乗るときには、このエネルギーをつかまえ、それと一体になるんだ。二〇フィートの波をつかまえたとすると、宇宙のエネルギーによって空間にむかって自分が二〇フィートも持ちあげられたことになる。人工的なしかけを使用しないかぎり、こんなことは波にでも乗らないと、まずありえない」
「その宇宙のエネルギーとの、つながりかたが大切なんだな」
「たとえば、大空間のほうへ出てしまったら、そこは無限の広さだから、さらなる閉所恐怖症の舞台になっていくだろう」

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私はサーフィンに憧れつつも、ボディボードしか体験したことがないのだが、これを読んでいたら、波に持ちあげられるという感覚をふと思い出した。
今年はまだ海に行っていない。
久しぶりにボディボードを持ってでかけてみようかという気になった。
ほんの少しだけでも、宇宙のエネルギーを感じに出かけてみようか。

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「夏はただ単なる季節ではない。それは心の状態だ」
あとがきで、片岡さんがずいぶん前にカリフォルニアで観た、アメリカ製の波乗りの映画のなかで、若い素人のナレーターが言っていたひとことだそうだ。
この文句をテーマにしてできあがった小説だ。
パート5くらいで完結させようとしてらしいが、この1だけで止まったままのようだ。

私は暑い暑いと文句を言いながらでも暑い夏のほうが好きだ。
心の状態が一番開放されて想像力も豊かに発揮できる夏が一番好きだ。

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by space_tsuu | 2004-08-09 00:00 | 赤い背表紙(長編)