カテゴリ:赤い背表紙(エッセイ)( 10 )

アールグレイから始まる日

かたわらに積み上げてある何冊かの中から、この一冊を手にとって読み始めてしまうと、ああ失敗したと思ってしまう。
失敗した、というのは、面白すぎて読み続けてしまうという意味だ。読み続けてしまうのがダメだという意味ではなく、他のやらなければいけないことを後回しにしても読み続けたい、あるいは、読んでいる時に邪魔がはいったりしたら困るではないかという意味だ。
でも、片岡さんのエッセイには時々そう思いながらも再読したい魔力がひそんでいる。
時代が変わっても、新たに発見することが多い。それだけ内容が濃厚で幅広くその時その時において勉強になることがちりばめられているのだ。

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ふと、付箋がしてあることに気づき、そのページを見てみると、「複眼とはなにか」という題名で次のようなことが書かれていた。少し抜粋してみよう。

『複眼、という言葉をよく目にする。複眼の思想とか、複眼のすすめ、といった文脈で使用される。単一のせまい範囲内に限定されたものの考えかたや価値観を超えて、もっと広い視野で自分や世界を多元的にとらえる能力を、一般的には意味している。単眼から双眼を飛び越えて複眼が、多くの人たちによって人々にすすめられている。
ほんのすこしだけスケールを大きくとって考えると、単眼とは、たとえば自分の世界として日本しか知らないことだ。日本に日本人として生まれ、日本の教育を受けて育ち、自分が日本人であることをなんら疑っていず、日本のなかでのみ通用する価値観やものの考えかたを身につけ、これからも日本のなかでだけ生きていこうとしている人たちは、複眼をすすめる人たちの側から見ると、典型的な単眼であるということになる。
(中略)
複眼のすすめは、じつは自分のなかにある日本をある程度まで捨てなさい、という提案だ。削って捨てると言っても、身についたものはすべて頭のなかにある。記憶の内部に蓄積してあるものを、必要に応じて切り取って捨てることは、すくなくともいまのところ人間には不可能だ。だから次善の策として、日本ではないもの、日本的ではないものを、かなり真剣に学習して身につけなければならない。本当に複眼をめざすなら、そのような学習は、何年も持続される必死の勉強になるはずだ。日本とはまったく異なった文化の側から、日本をさまざまに見ることが出来るようになるのが、複眼の第一歩だ。異なったもうひとつの文化を真に自分のものにするのは、誰にとっても至難の技であるはずだ。 』

英語を勉強している私にとって非常に興味深くもあり、君の勉強の仕方ではまだまだだよと言われているような気がして耳が痛くもあるが、最近少しマンネリ気味になってきた気持ちに活を入れられた感じがした。

ここに書きたい部分はほかにもたくさんありすぎて、書ききれないけれど、少しづつ時々開いて読みたいので、この本はいつも傍らに置いておこう。

最後に、表紙を開いてすぐに飛びこんでくる素敵な文章を、ここに載せて、私もアール・グレイの紅茶でも飲んでみようかな。

『紅茶はアール・グレイ。ポットに湯を注いで、一日が始まる。新聞から天気図を切り抜き、今日までのに加え、紅茶を飲みながら観察する。東へ去る高気圧。それを追う低気圧。前線の影響、雨模様。しかし今日はいまのところ晴れている。沿岸の海風が、低めの気温のなかで、魅力的なはずだ。海風に触れてこよう。すぐに出かけよう。今日はそのための一日。二杯めをカップに注ぎ、自分の一日が本当に始まる。』

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by space_tsuu | 2013-07-18 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

コーヒーもう一杯

『コーヒーをもう一杯のむ時間は、とても不思議な時間だと思いませんか? なぜ、もう一杯なのでしょう。みじかくて五分ながくて三十分くらいのその時間のなかで、しかし、いろんなことを語りうるのです。もう一杯は、さしむかいで、語り合いつつ飲むといいようです。この本とのさしむかいでも、素敵だと思います。』と、扉の文章に書かれている。
このブログにその文章をタイプしていたら、インターネットラジオからDiana Krall という人が歌う「Some other time」という曲が流れ始めた。
ちょうどこの「コーヒーもう一杯」という本のBGMに合っているなぁと思いながら外を見ると、雨の日の午後の時間がゆるやかに過ぎていく。

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パラパラとページをめくりながら、目についたものをざっと書きとめてみると、アメリカ人の友人の漢字の覚え方、車のミラーステーにささっていたまっ赤なリンゴの話、瀬戸内海の小さな島で感じる宇宙感、太平洋の海底地図、ペーパーバッグの英英辞書、ガス・ステーションでのショート・ストーリー、ジャズ・ピアノのLP、アメリカでの教育のあり方について、失われつつあるハワイについて、などなど多種多様にわたる興味深い内容が満載だ。
これはコーヒー一杯だけでは足りないではないかと思いながら、コーヒーを入れるために立ちあがると、曲がStan Getz & Kenny Barron の「Like someone in love」に変わったので、すぐに曲名をメモした。
食べる物で人の身体ができているとすれば、私の思考回路はおそらく少なからずは、片岡さんの本を読むことや、そこから派生したものでできあがっているはずだ。
そして私の「コーヒーもう一杯」は、もちろんブラックコーヒーだ。

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by space_tsuu | 2012-03-30 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

ぼくはプレスリーが大好き

『誰のためでもなく、なんのためにでもなく、本能としか言いようのない衝動だけを指標に、自分のために自分でひとりぼくはメモをとった。その結果がこの本だ。
メモをとりたくなったきっかけは、やはり、かつてのエルヴィス・プレスリーによる天啓にちがいない。あの天啓以来、あるときは一瞬のうちに、あるときはながい時間をかけてすこしずつ、ぼくが体で感じとってきたものの集積が、ある一定の限度をこえたとき、ぼくは、その集積に関してメモをとろうと考えた。』

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『個人的なメモでさえ、ぼく自身にとっては、書きおわったとたんにご用ずみだが、とにかくなにごとにせよ描くためには、ぼくは、自分が経過していく時代のすべてを、自分のための材料なり足場なり指標になりとして、必要とした。』

『面白くない本は、その面白くなさの追求が、有益だった。』

『結局、ぼくが選択したものは、ブルースだった。決定的な選択によって、ブルースが自分のなかにもあることを知った。ロックンロールは、あるときあるところであるる人にとって一種の臨時的な価値をしか持たず、誰の内部にもありうるブルースは、より普遍に近い。ふたつをくらべるとき、ひとつは馬鹿ばかしく、もうひとつは馬鹿ばかしくない。』

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あとがきからいくつか抜粋してみた。
私が個人的に片岡さんの本についてのメモのようなブログを書いているのとは雲泥の差だが、ブログというツールを使って何かを書いていこうとひらめいたその衝動は、まさに同じだ。
書きおわっても、くしゃくしゃにして捨てるメモではないメモ。
時々自分のために読み直してみたりすると、その時の自分がこんなことを書いていたのかと不思議な感覚を味わえるメモ。
自分という小さな時間の経過が刻まれているメモといってもいいかもしれない。
書きたい時に書くだけだから、ストレスもない。
片岡さんの本から濾過された自分の断片を、ふとした時に、これからもメモしていこう。

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by space_tsuu | 2010-04-02 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

個人的な雑誌1

著者が自分の雑誌を作るという第一号の試みがこの本だそうだ。こういう形式は、とても好みだ。
インタヴューあり、エッセイあり、最後には短文集あり、そのうえ片岡さんが撮った写真がたくさん載っていて、どこから読み始めても、パラパラめくっているだけでも、笑顔になる。

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『7枚ずつひと組の、ジャズのLPをながめる』というエッセイの左ページには「きまぐれ飛行船」の録音がおこなわれていたスタジオの写真が載っている。
なんともいい雰囲気の写真で、片岡さん自信がミノックス35GTで撮ったものだそうだ。
それを知って、どうしても欲しくなった私はすぐに調べて同じカメラを買ってしまった。

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何年か前、ソウルに行く時に持っていき、そのカメラでいろいろ撮ってみると、なかなかシャープな写り具合に感激したのを思い出した。
しかし、なぜかその後調子が悪くなり、修理に出したのだがしっかり直ってこなくて、そのままになっている。もう一度どこかで見てもらおうか。それとも、別のものを買おうか。
片岡さんにこのことを話した時に、何度でも直して持っているといいですよと言われたことを今思い出したが、きっと片岡さんは覚えていないだろう(笑)

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by space_tsuu | 2009-04-12 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

ロンサム・カウボーイ

『追い風はホワイト・ブルース、向かい風がアメリカン・ソウル。紫の平原が、二車線のハイウェイが、幻の蒼空に逆さうつし。アメリカの西部の主人公カウボーイが、どこまでも持ちうるロンサムとはなにか。硬すぎる叙情ゆたかに描ききる男の詩』
これは月刊誌『ワンダーランド』(いまの『宝島』の前身)第一巻第一号が刊行されるのにさきがけてつくられた宣伝材料に、連載『ロンサム・カウボーイ』の予告がこんな文章で載っていた。と、あとがきで説明されている。

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扉の文章によると、この本は「アメリカを象徴する、陽気で荒々しくて新しもの好きな<カウボーイ>。そんな、夢みたいなカウボーイは、どこにもいないだろう。だが、ごくあたりまえの日常のなかで、長距離トラックの運転手や、巡業歌手、サーカス芸人など、汗と埃にまみれながら、かつての夢のような自由を愛する男たちがいる。現代のアメリカを舞台に、さまざまな職業に生きる男たちの夢を描いた14の物語。」ということになる。

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現代のとはいっても、この本の初版が昭和五十四年七月三十日となっているので、西暦でいうと1979年、今からさらに30年も前のことだ。あの頃の男たちは、今どうしているのだろう。どこにもなくなってしまった夢のような自由は、今でも彼らの心の中にあるだろうか。
こうした本の中や映画の中にそれらはひっそりと眠っている。しかしいったんページをめくり、あるいは、テレビやスクリーンに写し出される映像の中に引き込まれていくなら、それを知らない世代でも疑似体験することができるだろう。
現代に生きる若い世代の人たちが、こういう本を読んだり、昔の映画を観るなら、まるでフィクションのように思えるかもしれないなとふと感じた。

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by space_tsuu | 2009-03-14 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

町からはじめて、旅へ

おじいさんからもらったポケット・ナイフで鉛筆を削る。
ヨーグルトにささっていたやさしさという永遠。
ウエスト・コーストを飲んでいるような気になるまっ赤なトマト・ジュース。
アメリカ人は、リンゴを誰もが同じように食べるというその食べ方をいつかやってみようか。

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「英語を使ってアメリカ人を相手にほんとうに論争したり喧嘩をしたりできるくらいではないと、外国語を覚えられるはずはない。喧嘩を避けずに、日々の自分にとっての、のっぴきならない肉体の問題としてひきうけていくと、外国語で喧嘩ができるようになるだけではなく、喧嘩をこえたさきにあるもの、たとえば、遊び仲間のつながり方とか友人の関係とか、ようするに人と人のあり方を日々刻々とつくっていくその方法が、身についていく。子供のほうが外国語を覚えるのが早いとは、じつはこういうことだ。」というようなことをこの本は教えてくれる。

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この本はエッセイ集だが、最後にひとつ『サーファー・ムーン』という短編が載っている。
それを読み出し初めてすぐに私は本を閉じた。
この本はいつかハワイに行く時に持っていき飛行機の中で読むのがいい、と思った。

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by space_tsuu | 2009-03-03 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

個人的な雑誌 2

「初雪より一日早く」というショートストーリーに出てくる女性は「and I love Her」の女性と似ている。ひょっとして同一人物だろうか。それとも、片岡さんが得意としているフィクションとノンフィクションのはざまにいる女性だろうか。どちらにしても、片岡さんのストーリーの中に登場するすべての女性たちは、ひとりの理想的な女性像を、いろんな角度から見たり、細かく切り取った断片のひとつだと思う。あるいは、女性の素敵な部分をひとつひとつ寄せ集めて作り上げた幻なのか。だから、そのような理想的な女性になりたいと思っても、しょせんは無理な話なのだが、その中のなにかしらの破片にはなれるかもしれない。

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この『個人的な雑誌2』のP148からは、写真家の佐藤秀明さんの語りと写真、その解説が載っている。ニューヨークのワシントン広場にいたひとりの男性のショットから始り、ハワイやタヒチの写真があるかと思えば、青森の雪の中の列車の写真があったりする。最後はやはり、サーフィンの写真だ。ヨコハマベイで、サーフボードをかかえ、ひとりたたずむ男性のショットだ。彼の後ろには細く長い影が伸びている。

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by space_tsuu | 2006-10-12 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

きみを愛するトースト

この本には55のエッセイがつまっている。どれもこれも素敵だ。どれもこれも今にいたる私に多大な影響を与えている。

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「ぼく」の誕生日に、英語とフランス語で細かなメモが書かれた手帳の三月二十日のページをとりはずし、その片隅に素敵な日本語のメッセージを書き添えて封筒に入れ、「ぼく」に送る彼女。

窓のない部屋での会議の途中に、架空の窓を想像し、様々なシーンを思い描き、最後にはシャワーを浴びながらブルーマルガリータをひと口、またひと口と飲んでいる。グラスの縁の塩に頬をつたわって流れる涙の味が加わる。

キリコの塔の上ではためく旗の話。

バーボンを飲むにあたって、どのような女性がふさわしいかについて。この女性像は私の憧れだ。酒が強い人でなくてはいけないという部分くらいしか、まだあてはまっていないかもしれない(笑)

そして、尾道のあのバーの話。私はこれとほとんど似たようなことを実行した。もちろん迷うことなく甘いほうのマンハッタンをまっさきに頼んだ。つまみのサンドイッチがとてもおいしかった。
壁には片岡さん直筆のハガキがひっそりと貼られていた。

猫の多江子の話。こんなふうな話が大好きだ。読んでいると、いつしか私が多江子の目線になっているのだった。

幼い頃から学生にかけての片岡さんの話も出て来る。大学の時に小学校から高等学校までの全教科の教科書を買い集めて勉強したことや蛸つぼの話も興味深いものだった。

最後には、口をきくトーストの作り方が書いてある。真冬の朝、焼けたばかりのまだ温かいトーストにくっきりと白くハートのかたちが描かれている。そののなかにI love you.と永遠のワン・センテスが浮き出ている。スクランブルド・エッグスも温野菜もたいらげ、コーヒーを飲み、真冬のなかにステーションワゴンで出て行く。交差点で信号待ちをしながら、胃のなかでコーヒーや卵や野菜と一緒になってぐちゃぐちゃになったI love youを想像する。

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ざっとかいつまんでも、こんなに素敵な文章がたくさんある。私にとって、この『きみを愛するトースト』は、キラキラと輝く宝石箱のようにまぶしく大切な本だ。
どこで読んだか忘れてしまったが、表紙の写真は実は上下逆にしてしまったと書いてあったのを思い出したので、キチンから一本フォークを持ってきて、本に添えて写真を撮ってみた。

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by space_tsuu | 2005-09-24 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

アップル・サイダーと彼女

この本は片岡さんそのものだ、と言っていいだろう。あとがきで本人がまぎれもなくぼくであり、ぼくがぼくであることの結果や証明のごちゃまぜであると言っているから、そうなのだろう。あとがきが一九七九年十月とあるので、その時までの片岡さん自身だということになる。
朝の八時から午後の四時すぎまで空の雲をながめてすごし、午後が夕方に変わっていこうとしている時間にこの「あとがき」を書いたそうだ。
「あとがき」というふうになつているけれども、私にとっては、「あとがき」という名のエッセイのひとつに思えるぐらいだ。

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この中に書かれている話はどれも素晴しい。どれも感銘をうける。どれかをひとつあげてくださいと言われても困るので、トランプのカードを一枚抜くようにページを開き、ひとつだけ選んでみた。
そのページは「コンドルは滑空していく」というタイトルだった。
『ぼくはコンドルという鳥に、すこし興味を持ってしまった。』という出だしで始まるエッセイなのだが、これを読んでしまうと、「私はコンドルという鳥に、ひじょうに興味を持ってしまった。」と言わざるをえないくらい引き込まれてしまう。
去年たまたまアマチュアのフォルクローレを聴いたのだが、その時に演奏で使っていたケーナはコンドルの主翼の骨で作られていたのだと今さらながらに気づいた。私は「コンドルは飛んで行く」という曲が心が揺さぶられるくらい大好きで、いつも聴くたびにぼうぜんとなるくらいなのに迂闊だった。自分の迂闊さを少しでも取り戻すために、数百万年も昔からすこしも変化していないというコンドルの骨でできたケーナを吹いてみたいという衝動がわきおこってしまった。

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by space_tsuu | 2005-04-27 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

すでに遥か彼方

エッセイやショートストーリーが書いた日付け順に並んでいる楽しい一冊だ。
例によって、あとがきから少し抜粋してみよう。

「時間や都合のつくかぎり、そしてこのぼくにでも書きうる内容であるかぎり、書くことにしている。
一週間にひとつは、エッセイを書いているだろう。忙しくてしめきりを忘れていたときなどは、小説原稿のしめきりよりもはるかに気持ちの負担が重いこともしばしばある。しかし、とにかく、書いてしまう。書くことがゲームのようになっているからだろう。」

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「ぼくは日記というものを書かないし、これからも書かないだろう。一見して日記のように見えるこの本をあらためてひろい読みしてみると、書いたのはどれもみなごく最近であるのに、すでに遥か彼方の
出来事として、まるで他人の文章のように読めてしまう。ひとつひとつのゲームをぼくがどんなふうに楽しんだかを、ぼくは第三者のような気持ちで、遠い向うに思いだしているのだ。」

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一九八五年二月とあるので、ちょうど二十年前の二月だ。この本のタイトルどうり、書かれた時は「すでに遥か彼方」に過ぎ去ってしまっている。この本にとっても私にとっても過ぎていった二十年という時間はそれぞれ違う質の時間だが、中に書かれている文章に目をとおすことによって、この二次元という紙の中にだけ静かに流れている時間の渦のようなものに一気にとりこまれていく。この本に限らず、文章という渦は決して本の外側に出ることなく、開くたびにその文章が書かれたある日ある時に戻ることができるひとつのタイムカプセルなのかもしれない。

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by space_tsuu | 2005-02-27 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)