カテゴリ:青い背表紙( 4 )

最愛の人たち

ウィリアム・モリスの繊細で優しい色合いの美しい表紙の本だ。
あとがきに、片岡さんは二十五才の頃に、それまでたまっていた写真をすべて捨ててしまったと書いてある。過去が自分のうしろに何枚もの写真によって蓄積されていくことに気づいて、その過去をいっきに捨てたのだそうだ。
私も今となってはなぜその時そうしたのかを覚えていないが、ネガをすべて捨ててしまったことがある。プリントにした写真だけは今も残っている。
その頃はデジカメなんて持っていなかったので、写真屋さんに現像してもらっていた。
できあがってくるのを楽しみにしていて、そしてプリントされた写真を見て一喜一憂していた自分をなつかしく思う。

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今はデジカメだけで撮っているのでネガはないのだということに今さらながら気づく。
データをどこかに保存しておかなければ、撮った写真は二度と見ることはできなくなる。
デジカメで撮った写真は、いつでも見ようと思えばパソコン上で見ることができるし、プリントアウトしなければ、気持ちの変化とともに見るたびに違った印象を受けることはあるかもしれないが、時間の経過とともに味が出てくるということもない。
形のある過去がどんどんたまっていく写真と違って、くっきりとした幻の断片がたまっていく。
その幻たちを他の人たちが何かしらの状況で見ることがあるなら、その人たちの記憶の中にどんなふうな形に姿を変えて断片たちは語りかけては消えていくのだろうか。

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by space_tsuu | 2009-08-11 00:00 | 青い背表紙

甘く優しい短篇小説

ひとつひとつを他のストーリーと切り離して読んでも、それぞれがひとつの短編として完結していると言ってもいいけれど、全体的にはつながったひとつのストーリーになっている。
あとがきの永井旦さんが書いているように、ところどころに月が密かにそして巧みに登場する。
できあがった物語は、ただ虚空に浮かぶ月のようなものにすぎず、現実離れした物語の中で主人公がその月を見上げて会話をするというあとがきを読みながら、私はオノ・ヨーコさんが『グレープフルーツ・ジュース』という本の中に書いてあったことを思い出していた。

「盗みなさい。
水に映った月を、バケツで。
盗みつづけなさい。
水の上に月が見えなくなるまで。」

月が架空の物語だとすると水に映った月は何だろうか。
現実の水面に映る月。私という「現実」、手ではとらえることのできない心という空にぽっかりと浮かんだ月。そして明鏡止水であるならば、くっきりとした月が映るだろう。
「物語」は私の心の中で咀嚼され脳細胞の隅々まで浸透して、いつしか自分の一部になる。

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それはそうと、『そして最後にマヨネーズ』というストーリーの中に出てくる女性が様々なお菓子や瓶詰めを買うシーンがあるのだが、まるで自分のことのようで苦笑してしまった。
食べるためではなく、気にいったから買ってみるという行動によって、いまだに食品庫にそのままになっている缶詰や瓶詰めがいくつかある。
でも、それはオブジェなのだから、よしとしよう。

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by space_tsuu | 2009-06-05 00:00 | 青い背表紙

8フィートの週末

1,2ページめくるたびに佐藤秀明さんの写真を見ることができる。
あとがきのように写真についての説明も読むこてができるので、一枚一枚説明を読みながら写真を見直すこともとても楽しい。

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見ていてふと気づいたのだが、またここにも私自身が撮った写真と同じような構図があることに気づいて苦笑する。
知らず知らずのうちに自分自身の中に浸透しきってしまっている構図やイメージのとらえ方の再発見だ。とは言ってももちろん、ただ似ているだけで、技術的なものや感覚が似ているなどとは、全く思っていないし、そこにたどりつくにはほど遠い。たどりつけるかどうかもあやしいところだ。

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それにしても、片岡さんの文章と佐藤さんの写真は、なぜこんなにも似合っているのだろうか。
片岡さんの文章と同様に、佐藤さんの写真も、ただ淡々とした雰囲気が伝わってくるような気がする。そう感じるのは私だけだろうか。そして、そんな写真を私は好きなのだとあらためて思う。

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by space_tsuu | 2009-05-12 00:00 | 青い背表紙

頬よせてホノルル

ハワイを舞台にしてストーリーを書く時、ほぼ自動的に、主人公に一人称の「ぼく」を使ってしまうのだと、片岡さんはあとがきで書いている。それは、現実の自分に一番近いからなのだそうだ。
ハワイが片岡さんにとっていちばんいい場所であり、この『頬よせてホノルル』のなかのどのストーリーにも、そのことが、いい形で作用してくれているといいとも書いている。
しかしながら、片岡さんは、最近はハワイには行っていないようだ。
誰かに一緒に行きましょうと誘われた時に、行かないと答えたらしい。
片岡さんにとっての一番よかった頃のハワイではなくなってしまったからだろうか。

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裏表紙の文章は、こう書かれている。
「お祖父さんの家の庭に咲いていた小さな赤い薔薇の花。高く、空にむけてのびた椰子の樹の上をふきぬけていく貿易風。日本からの移民が作ったアロハ・シャツ。星の形をしたジンシャ・ブレッドのお菓子。八倍の双眼鏡の彼方に見える彼女の姿。誰もが頬よせあう島、そこがぼくの故郷。訪れるたびにぼくを様々な表情で迎えてくれる・・・・・・。ハワイを舞台にした5つのラブ・ストーリー。」

これを読んでいるだけで、気持ちが高揚してくる。あの陽射しと肌に感じる心地良い温度が蘇ってくるようだ。
巻末の解説をまかせられた梶野裕城子さんは、この『頬よせてホノルル』は、いちばん大切な相手と、存分にわかちあってくださいと書いている。
次にハワイに行く時は、おそらく、私のバッグには、この本が入っているはずだ。

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by space_tsuu | 2007-02-11 00:00 | 青い背表紙