<   2005年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

すでに遥か彼方

エッセイやショートストーリーが書いた日付け順に並んでいる楽しい一冊だ。
例によって、あとがきから少し抜粋してみよう。

「時間や都合のつくかぎり、そしてこのぼくにでも書きうる内容であるかぎり、書くことにしている。
一週間にひとつは、エッセイを書いているだろう。忙しくてしめきりを忘れていたときなどは、小説原稿のしめきりよりもはるかに気持ちの負担が重いこともしばしばある。しかし、とにかく、書いてしまう。書くことがゲームのようになっているからだろう。」

b0127073_18363029.jpg


「ぼくは日記というものを書かないし、これからも書かないだろう。一見して日記のように見えるこの本をあらためてひろい読みしてみると、書いたのはどれもみなごく最近であるのに、すでに遥か彼方の
出来事として、まるで他人の文章のように読めてしまう。ひとつひとつのゲームをぼくがどんなふうに楽しんだかを、ぼくは第三者のような気持ちで、遠い向うに思いだしているのだ。」

b0127073_18364682.jpg


一九八五年二月とあるので、ちょうど二十年前の二月だ。この本のタイトルどうり、書かれた時は「すでに遥か彼方」に過ぎ去ってしまっている。この本にとっても私にとっても過ぎていった二十年という時間はそれぞれ違う質の時間だが、中に書かれている文章に目をとおすことによって、この二次元という紙の中にだけ静かに流れている時間の渦のようなものに一気にとりこまれていく。この本に限らず、文章という渦は決して本の外側に出ることなく、開くたびにその文章が書かれたある日ある時に戻ることができるひとつのタイムカプセルなのかもしれない。

More
[PR]
by space_tsuu | 2005-02-27 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

意地悪ポケット本

もうひとりの片岡さんであるテディ片岡の『意地悪ポケット本(こんな楽しみ、やめられない)』
しとうきねおさんとの共同作業によるウィットに富んでいてちょっとHな文庫本だ。

最初にこの本を読むにあたっての心得が書いてあったりする。たとえば「手にとるたび、軽く会釈すること。かといってかしこまりすぎぬよう、内容を十分に味わうだけの落ち着きを持ちたい。」とか(笑)
中の文章はどちらが書いたものかは書かれていないので、これは片岡さんが書いたものだろうかなどと推理しながら読むのもまた面白かった。

b0127073_12551925.jpg


「石ケンについての四次元的思考」で石ケンはたとえば一粒の小さな錠剤に姿をかえて、体が汚れたなと、と思ったらその錠剤をひとつ飲むとか、レーザー光線が石ケンになって、その光線を浴びるとアカや死んだ古い細胞がとれてしまう工夫について書かれていたりする。きっとこのあたりが片岡さんのアイディアだと確信している。
『ガラス・コップにおける過去・未来』というのもきっと片岡さんに違いない。そのまま引用させてもらう。
「ガラス・コップは、空のまますごした過去と、水をたたえてすごした過去を持ち、現在もまた、過去と同じようにふた種類ある。そして未来は、ガラス・コップが割れて砕けた瞬間からはじまるのだ。
そして、空でいるかぎり、、あるいは、水をたたえたままでいるかぎり、ガラス・コップは永遠に現在だけをつづけていくことになるのだ。伏せられているとき、あるいは、横たおしになっているときのガラス・コップは、どう理解すればよいのか。」

b0127073_12553225.jpg


最初のページのほうに載っているかわいい片岡さんのイラストを微笑ましくながめつつ、私は真剣にこのことについて考え始める。伏せられている、あるいは、横だおしになっているということは、異次元ということとして理解すればよいのではないか、またはワームホールの中の「無時間」とか、いくつもある別の宇宙の中のひとつなど、いろいろ浮かんでは消えていくが、もう少しましな考え方があるのではないかとさらに思考は深まっていく。
[PR]
by space_tsuu | 2005-02-09 00:00 | テディ片岡

雨の壁、霧の壁、虹のふもと

季節も時期もはっきり覚えてはいないが広々とした高原にいた時だったのでおそらく夏から秋にかけてのはずだ。
周りは見はらしのいい遮るものもほとんどないといっていい状態の気持ちのいい場所だった。
自分のいる鋪装された道路の先を視線でたどりつつ遥かかなたにその視線が到着した時に灰色の壁が見えた。
あの壁は何だろうと思う間もなく次第に大きくなり、気づいた時には雨の中に立っていた。道路がだんだん濡れていくところと自分の立っている乾いた部分の境目がほんの一瞬見えた。

b0127073_1795618.jpg


別の日別の場所で、ゴルフをしていると霧があらわれた。霧は雨の時と違って、まるで真っ白い煙の生き物のようにもくもくと近づいてきた。私たちはあっという間に霧の中に包まれた。こんなにも、どこもかしこも見えなくなるものなんだと、その時初めて体験する感覚に、五里霧中という言葉を頭のかたすみに思い出した。そして自分は今、空高い場所に浮かんでいる雲の中にいるのだという想像をして楽しんだ。

先月、温泉に行く途中で虹を見た。車の中から左前方に虹を発見した。車の走って行く方向とともに虹は様々な大きさに変化しながら、右へ左へ、あるいは正面に、またある時は建物に隠れて一瞬見えなくなったりしながら車とともに併走してくれた。車に対して平行になったり垂直に立っている時もあった。そして大きくなった虹のふもとも見ることができた。

まるで嘘のようだが本当だ。夢でもない。いつか夢のようなオーロラをぜひ見てみたい。

---------------------------------------------------------------------------------------------------
[PR]
by space_tsuu | 2005-02-04 00:00 | 私の心とその周辺