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午後の海とブルーハワイのラムネ

ことしの春は例年に比べて肌寒い日が続いていたので、夏の恋しい暑さはまだまだ先なのかと少し寂しく思っていたが、今日は朝からまるで夏の日の雰囲気が漂っていた。
どこで鳴いているのか、カッコウの声が近くに聞こえていた。声のする方向を探してもカッコウの姿は見えず、ほっこりとしたと形容したくなるような声だけが程よい感覚で心地いいBGMのように続いていた。目を閉じるなら、自分は夏の日の高原の別荘にでも遊びに来ているのだと想像することができた。

青い空を見ていたら、ふと露天風呂に入りたくなり、私は車をオープンにし、時おり空をながめながら新しくできたビジネスホテルと天然温泉がひとつになった場所に向かった。浴場は結構広く、様々な内風呂が5つと露天風呂が5つあった。「ごろりん湯」という名前の露天風呂は頭を岩の枕に乗せて仰向けになることができた。仰向けになり、空を見上げると、薄い透明のビニールでできた屋根によって空は遮られ、青空を見ることはできなかった。少しがっかりした気持ちで風呂からあがり、身支度を整え再びオープンカーに乗った私は、無性に青空を心ゆくまでながめたくなった。そして、青空を見るために暑い日ざしの中をオートバイを走らせることにした。

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国道を南下すると右に海が見えるルートを走った。午後の日ざしの中では海は青いというよりは白っぽく、光を反射してキラキラと輝いているのを見ることができた。
20分くらい走るとダミーの風車のある「道の駅」が見えてきた。ウィンカーを左に点滅させ、国道からそこに向かう道路に入っていき、広い駐車場を半周して空いているスペースにオートバイを停めた。平日にもかかわらず、たくさんの車やオートバイが停まっていた。KAWASAKIの1200ccのオートバイからおりたばかりの恰幅のいい男性が自動販売機で何か飲み物を買っていた。私はヘルメットを取り、サドルバッグからオリーヴドラブ色の帽子を取り出した。私は帽子をかぶり、いろんな店が並んでいる方向に歩いていった。店の中ではイカを焼いたものを食べている人やソフトクリームを仲良く食べているカップルがいた。飲み物が入っているケースの中に私はラムネを発見した。普通のラムネのとなりに赤や青のラムネもあったので、私は青い色のラムネを買って外に出た。

海に向けて歩いて行くと、砂浜に向かって数段広い階段が作ってあった。階段を下り、砂浜とこちら側を遮るように作られた白いフェンスによりかかって私はラムネの瓶の周りを囲んでいるフィルムをはがした。フィルムにブルーハワイと書いてあるのをその時発見した。ブルーハワイのラムネを青空に向かって高くかかげ、私は携帯で一枚写真を撮ってみた。青く晴れ渡った空をブルーハワイのラムネの青を透してながめてみた。ラムネの水平線の上に透明な太陽のような玉が、まだ瓶の蓋の役割をして浮かんでいた。私は右手の親指で力強くそのラムネの玉を瓶の中に押し込んだ。透明な玉がラムネの発泡する音とともに瓶の中に踊りこんだ。
私の今年の夏は青空とこのブルーハワイのラムネによって始まった。  

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by space_tsuu | 2005-05-30 00:00 | 私の心とその周辺

yours

ラハイナのフロント・ストリートを、カアナパリの方向に向けてほんのすこしいったところにあった、『イーザ・オア』というブックストアで行われた詩の朗読会に行ったことが、このyoursを書いたことにつながっているようだ。

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「自分ではいっさいなにも作ることなく、ただそのへんに散らばっている言葉を集めて来るだけで、いまのような詩が誰にでも作れるのです」と、その朗読会で詩を披露した四十代前半の男性は言ったそうだ。見なれた陳腐きわまりない言葉の数々でも、彼によって組み立て替えられると、誰もが神妙な気持ちにさせられたり、爆笑の渦を作り出したりできるのだということを体験したそうだ。
そうは言っても、片岡さんの、このyoursのような詩は、そうそう誰にでも簡単に作れるというものではない。どのような言葉をさがし出すのか、さらに、ピックアップしてきた言葉たちをどんな具合に組み合わせるのかということにも、人それぞれのセンスがあると思う。ある冬の日、片岡さんは駅の売店に並んでいるすべての女性雑誌を買った。けれども、それらのどれにも片岡さんが探していた魅力的な言葉は見つからなかった。あったのはもはや完全に心を捨てた人たちの言葉だった。そして心のないところには詩人は必要ないと書いている。現代に生きる私達は日々多忙な毎日を送っている人がほとんどだ。忙しいという字も、心を亡くすと書く。時にはふと、心を取り戻すために、あるいは心を保つために、このyoursを開きたい。私自身も、時には自分自身で、心ある言葉を探す作業をしたいと思う。

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中に添えられた中道順詩さんの写真の数々も、とても気に入っている。キャンディーを食べる時は必ずといっていいほど、ふと気の毒そうにこちらを見ているキャンディーの写真を思い出す。

余談になるが、朗読会で飲んだ「上出来のシャンペインを、マウイのトマトをしぼって作ったトマト・ジュースで割った飲み物」というのも、一度でいいから飲んでみたい。自分で作れるなら作ってみたいが、上出来のシャンペインをなんとかして手に入れたとしても、マウイのトマトがなければ無理だろう。

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by space_tsuu | 2005-05-19 00:00 | 赤い背表紙(詩集)

昼月の幸福

子供の頃の私の部屋は、勉強机のすぐ前が窓になっていて、その窓を開けるとすぐそこが一階の屋根なっていて登ることができた。天気のいい日にはベッドのかけ布団などを、屋根に広げて干していた。しばらく干したその布団はポカポカの温かさでふわふわになり、とても気持ちよかったので、いつも屋根に敷いたままのその布団に仰向けになり空を心ゆくまでながめた。さえぎるものが何もない状態の空の中を流れつつ形を変えていく雲を見たり、白い月が薄くぽっかりと浮かんでいるのを観察することはこの上なく心地よかった。

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この「昼月の幸福」という本を読み進むにつれて、私は心臓の鼓動が速くなっていくのを感じていた。書かれている内容が、まるで私の気持ちを代弁でもしているかのような内容だったからだ。昼の月についてこう書かれている箇所がある。

「青い空を底なしの背景として、白い小さな月が、遠くにぽつんと浮かんでいる。小さいけれども、その存在の感触は、絶対的に確かだ。あ、今日はあそこに月がある、うれしい、という気持ちに、僕はかならずなる。」

「午後の、淡く青い空の一角に思いがけなく僕が発見する、白い小さな月は、時間の無限を僕に見せてくれる。過去にむけても、そして未来にむけても、おそらく無限に存在するはずの時間のなかの、ほんとにどうしようもなく小さな一瞬を、その月を経由して僕は見る。無限という巨大なもののなかで、いまたまたまここにいる僕は、ふと見上げた空の白い小さな月を経由して、自分の小ささを自覚する。月を見たその瞬間、僕は、自分自身に関するさまざまな自覚のすべてが、自分の内部にむけて、強力に凝縮され集中していくのを感じる。結果として、自分がなにであるか、どのような存在であるか、はっきりとわかる。こういったことは、僕にとって、じつにうれしいことだ。」

私が自分自身の内部に漠然とかかえていた気持ちを、片岡さんが文字におこし文章として組み立ててくれているような錯角にふと陥った。そして読めば読むほど、この本は私自身なのだと強く感じていった。

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つい最近、私が密かに憧れている女性が夢語りと称して月に関する短い文章を書いているのを読んだ。彼女は、ひとは昼の人種と夜の人種と2本の枝に分かれていて、夜の人間には月の欠片がよく似合うというようなことを書いていたので、私は「私も月が大好きで、月が見えないと思わずため息をつきたくなります。でも、昼の人種のような気もするし、どっちつかずの私です」とコメントをした。すると聡明な彼女は、私は昼の人であり、なんともかわいらしい昼の月だと言ってくれた。さらに、とてもチャーミングな、透明な満月だと。
私はそれを見て、ああそうか、月には昼月もあったのだと思い出した。自分をかわいらしくてチャーミングだなんて全く思っていないが、昼の月にたとえてもらったことが、この上なく嬉しかった。そして、昼の月である私はとても幸せな気持ちになった。

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by space_tsuu | 2005-05-07 00:00 | essay