<   2006年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

宝物に伸びる影

仕事場のあるマンションの裏側の駐車場のスペースに車を停め、彼女はマンションの入り口のフロアに通じるドアに向けてゆっくりと歩いていった。通用口のようなそのドアを開けると、正面玄関に向かって左側の壁の半分ほどの位置に各部屋の郵便受けが設置されている。

彼女は、自分の部屋の番号の郵便受けに何か入っていることに気づいた。
近づいて確認してみると、オレンジ色のクッション入りの封筒が、投函する箇所から、ややはみだしていた。
彼女は、大きなその封筒を手にとり、正面玄関から外に出た。外に出て、右側へ歩くとすぐに自分の仕事場である濃いグレーのドアがある。ドアの鍵を開けつつ封筒を見てみると、オレンジ色の封筒のまん中に白い紙が横に貼ってあった。そしてそこに宛先である自分の名前がブルーのインクで書いてあり、その下に差出人の住所と氏名がやや小さめに印刷してあった。

b0127073_14154964.jpg


その名前を見た瞬間、彼女は自分の目を疑った。ドアを開けるための銀色の縦長のバーに手をかけたまま、彼女は呆然とした。すぐに我にかえり、ドアを開け、部屋の中のカウンターに荷物を置き、そのオレンジ色の封筒の名前をもう一度確認した。なにかのいたずらだろうかと一瞬思ったが、すぐにその思いをふりはらい、こわれものを扱うような手つきで、封筒を開けた。
中からは一冊の写真集が出てきた。表紙全体は写真になっていて、表紙全体は写真になっていて、淡いピンク色の帯が本の下半分を占めていた。そしてそこには「東京は被写体の宝庫だ。」と黒い文字で書かれていた。その帯をはずし、表紙の写真を見ると、道路の縁石部分が本の左下から中央上部に向かって伸びていた。そしてそのすぐ右側に電柱の根元があり、その前にある雑草の緑がアクセントになっていた。左側から右ななめ上に向けて、なにか建物か木々の影が写っていた。電柱の右側にも同じように電柱自身の影が伸びていた。影は手前から奥に向かうにつれ、その色を濃くしていた。この場所に立ってみたいと、ふと彼女は思った。

b0127073_1416479.jpg


この写真集は、まだ発売前のものだった。
いきなり天から授かったプレゼントのように思えた。
差出人は、彼女が大好きな作家だった。何度かその作家に手紙やはがきを出したことはあるが、まさかこんな形で、自分に対して返事がくるなんて思いもしていなかった。
写真集をプレゼントしてもらえるなんて、夢のようだった。

厚い写真集を両手でかかえながら、これは私の宝物だと彼女は思った。しかし、本当の宝物は、この作家が自分のことを思い出して、こうして写真集を送ってくれたというその気持ちこそが宝物なのだと、ブルーのインクで書かれた自分の名前を見ながら、彼女は微笑した。

---------------------------------------------------------------------------------------------------
[PR]
by space_tsuu | 2006-03-24 00:00 | 私の心とその周辺

上り坂の地平線

車でもバイクでもいいが、起伏にとんだ道を運転していると、上り坂の地平線が空だけに接しているように見える箇所に遭遇する。
街中では、ほとんどこういう風景に出会うことはない。周りに余計なものがありすぎる。
道路の両側は木々が連なっている林や森だといい。電線などはなく、自分が進んで行く道と木々と空だけが見える。青空であることが重要だ。青空には夏の雲があるとなおさらいい。

b0127073_1558057.jpg


先日、そんな場所を何度となく通過した。
下り坂だと、遠くに周りの民家などが見えたりするが、下り切ったら、今度は道路はまっすぐ上り坂になった。両側が緑の壁で塞がれ、まるでジェットコースターで登っていくように、青い空にそのまま飛び立ちそうな錯角に陥るあの瞬間がこの上なく嬉しい。

お盆が過ぎると、夏はひっそりと少しづつ秋に溶け込んで、いつの間にか気づいたら風の香りも変わっていることだろう。
ほんのりと淋しい気持ちになりつつ、でも心のどこかには、あの上り坂の地平線と青空の光景が印画紙のように焼きつけられ、思い出すたびに少しだけ嬉しくなる。

---------------------------------------------------------------------------------------------------
[PR]
by space_tsuu | 2006-03-17 00:00 | 私の心とその周辺

敍情組曲

「十五年まえ、彼女と彼はおなじ高校で机を前後にならべていた。そのときはなにごともなかったのに、再会したとたんに物語がはじまった。その物語を支える彼女の論理は、彼女の心そのまま。そしてそれを彼は全面的に支持する。再会の春さきから夏の終わりまで、かさなりあうエピソードはふたりで作る組曲」

これは扉の文章だ。
そして、進んでいくストーリーの中で、彼女はこう言う。
「実験をしてみる、と言えばいいかしら。あなたとの恋愛の純度の高さを、いまの高さに維持したまま、十年、二十年と生きてみる、という実験」

b0127073_1413092.jpg


片岡さんは、『きみを愛するトースト』の『「恋」というひと文字をじっと見る』という文章の中で、「恋は、ボードゲームだ。しかし、ボード・ゲームは終りがあるからはじめることも出来る、架空の世界だが、現実の恋を終りのあるゲームにしてしまうのは、ちょっと能がなさすぎるのではないだろうか。ボード・ゲームの恋は終ってもいいけれど、実際の恋は終らないほうがいいと、ぼくは思う。終ることのない、恋というゲーム。
これからはこれだと、ぼくは直感している。終りのない、恋というゲーム。つまり、高まったふたりの気持ちである、この恋というゲームを、いつまでも終らせずに維持させていく方法、ないしは工夫。これをぼくは考え、実行してみようと思っている。」
と書いている。

『敍情組曲』は、これをストーリーにしてみたのではないだろうか。これから始まろうとしている魅力的でスリリングなボード・ゲームの前哨戦だ。
片岡さん自身は実行してみたのだろうか。それとも実験している最中だろうか。

More
[PR]
by space_tsuu | 2006-03-05 00:00 | 赤い背表紙(中編)