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雲の上の未来

雨の匂い

走り去る車の音

過去から未来へ

黒いアスファルトの鏡

にじんで輝く物語の灯り

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過ぎ去ろうとする今日

激しいリズムのピアノトリオ

グレーの雲のずっと上には、きっと細い三日月

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by space_tsuu | 2007-05-25 00:00 | 私の心とその周辺

撮って、と被写体が囁く

この本には、片岡さんが撮った写真をおさめたCDもついている。1998年発行の本なので、もう10年近く前の本だ。この頃に比べたら、カメラの進歩も飛躍的に発展した。
ボケたり失敗したりすることもなく、デジカメで素晴しい写真が撮れる。わざわざカメラ屋さんに行かなくても、自分で綺麗にプリントできる時代になった。その反対に、現像されてできあがってくるまでの、あのワクワクした気持ちを感じることはできなくなってしまったけれど。だから、たまには、私も一眼レフやトイ・カメラで写真を撮りたくなるので、そうする。

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第五章の「撮って、と被写体が囁く」という文章の中から、とても興味深かった部分を抜粋してみた。

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マネキンのポーズ、という表面を写真という平面で理解するとき、世界と写真との関係を、人は象徴的に体験する。世界はほとんどの場合、表面だけなのではないか。ほとんど、というひと言を僕は使っておく。内面もあり得るからだ。しかし、人はなぜ写真を撮るか、という問題を考えていくと、最終的には平面つまり表面の問題にいきつく。
世界のほとんどすべてを、かたち、存在、存在のしかた、ありかた、などで理解するために、人は世界のあれこれをかたっぱしから写真に撮る。常に白雪を頂いている高く険しい山を写真に撮るとき、その山の内部の岩石構造は問題にされていない。美人女優のポートレートを撮影するとき、彼女の喉の奥にあるはずの扁桃腺の出来ばえが、問題にされているだろうか。どちらの場合も、もっとも重要なのは、かたちやありかたといういちばん外側、つまり表面だ。
(〜 中略 〜)
ほんとの写真は内面にまで迫り、内面を感じさせてくれる、という意見はあっていい。ほんとの写真は内面を感じさせる、と思うのがその人の幸福なら、そう思うがいい。写真を見るほんとの力は内面をも感じ取る、という意見もあり続けるだろう。この意見に関しても、そう思いたければそう思っていればいい。

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(photo by kataoka)
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これを読んでいて、私は、ああそうか、これは「and I Love Her」に通じると思った。
ひとりの女性の外側を淡々と描くストーリー。それはまさに写真と同じではないか。
「僕の書く小説は写真だ、と断言していい。」と、この本のまえがきにあるように、
すべては、ここから始っているのだ。「and I Love Her」に限らず、すべてのストーリーは写真だ。
片岡さんは、なにも、内面が重要ではないと言っているのではない。
一番最後に「最重要な問題を、表面へ、そしてさらに表面へと、引き出し続けたのが、写真の歴史が果たした力だ。」と書いていることからもわかる。

それにしても、片岡さんは、実にたくさんのカメラを買ったようだ。
中には8ミリの映写機もある。片岡さんは、その映写機でも、たくさんの映像を撮ったようだが、きっと、それは、彼自身が書く小説をリアルに彷佛とさせるのではないかと、ふと思った。
私も昔から8ミリの映写機が気になっているのだが、読んでいて、また気になり出してしまった。

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by space_tsuu | 2007-05-05 00:00 | 白と黄の背表紙