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ボビーをつかまえろ

これは『ボビーに首ったけ』およびアニメーション映画の『ボビーに首ったけ』の両方にとっての副読本のようなものだと説明されている。
最初、ボビーはどこから来たかについてのインタヴューで始まり、最後は片岡さんと吉田秋生さんとの50ページくらいの対談になっている。
この対談の中から、片岡さんのコメントをいくつか抜粋してみた。

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「僕はこうしたい、だからこうするのだというありかたは少年にとってのひとつの夢なのではないでしょうか」

「例えば、腕が長くて、しかも非常にしっかりした腕だったりとか。それから目は完全に切れ長というか、そういう目ですね、ボビーの目は。」

「イメージとしては、口数が少なくて、よくみるといろんなところがたくましいというか、そういう感じですよ触ってみたくなる、女性としてはね。だけど、当人はそんなことにはまったく気がついていない。そんなことは彼にとってはまったくどうでもいいという感じなのです。」

「彼が部屋に入ってくる時でも、ふっと入ってきて、そこにたしかにいるのだけど、いないみたいな。いないかというと、そんなことはなくて、ちゃんといる。」

「自分のプライドみたいなものが、現実からかなり遠いところにあるんですよ。」

「でも最後は、言い争って、彼のほうが父から逃げてますから。逃げるというよりも、そこに自分がいなければいいのだ、という考え方でしょうね。逃げるというより、すれ違ってしまうのです。抵抗してるといつまでも同じ状態がつづきますから、ある時ふっと、自分で方向を変えて、離れていく。(争うことは)嫌いでしょうね。競争するようなことは全部、駄目でしょう。競争ではないのですね、人生観が。」

「変わっていくということを、きちんと承知してるはずです。成長というか、要するに自分も状況も変わっていくということを。」

「ボビーのような少年は、現実にもしいたら、相当に変わった少年でしょうね。まるっきり世俗的ではないような。だから、その点において、ひとつの理想像というか、こんな少年がいたらたいへんいいだろうなと、という気持ちにはなりますね。」

「関係ないことには全く関係ない。しかし大事なことはものすごく大切にしてる、というタイプの少年でしょう。そして、完全に、外向きですね。」

こうして書き出しているうちに、どうも私自身に近い部分が多いことに気づいて、おもわず苦笑してしまった。
私の中にあるボビーの部分は、かなり私と重なっている。
変わっているのかもしれないけれど、それが自分だからしょうがない。

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by space_tsuu | 2008-05-23 00:00 | 赤い背表紙(短編)

嘘はほんのり赤い

あとがきにあるように、この短編集はブレンドコーヒーのようだと思って読むと面白いはずだ。

「コーヒーの豆を微妙にブレンドするみたいに、そのコーヒーを飲んだ感じが、読みおえたときの感じと重なるといいですね」と片岡さんは言っている。
ブレンドコーヒーを飲みながら、この小説を読んでみようか。
きっと、記憶の中にふたつの感覚が重なってさらに味わい深いものになるかもしれない。
ブレンドコーヒーを飲むたびに、この小説を思い出す、あるいはその逆とか。

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「あれは嘘だわ。嘘だったのね」と彼女は言う。もちろん、嘘さ。「まっ赤な嘘だったのね」あの程度の嘘を、まっ赤と言われても、ぼくは困るんだ。ほんのり赤いだけだよ。ほんのり赤ければ、どんな嘘も楽しい。彼女だって、ぼくを責めながら、素敵な笑顔でいるではないか。

これは扉の文章だ。
ほんのり赤い嘘か。嘘はいつだってほんのり赤い程度にしておいたほうがいい。熟しすぎてまっ赤っかになった嘘は、とりかえしがつかない。そうなったら捨てればいい果物とは違って、まっ赤すぎる嘘はいつまでも永遠に残ってしまう。
誰か嘘をつく相手の笑顔を想像しながら、ほんのり赤い嘘を考えてみよう。

表紙の写真を撮る時に、白熱灯を照らして白い部分をほんのり赤くしてみた。

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by space_tsuu | 2008-05-20 00:00 | 赤い背表紙(短編)

ボーイフレンドジャケット

「ある日、ボーイフレンドが着ていたジャケット。気にいったので私が着てみた。それ以来、私のもの、ボーイフレンドジャケット。
私と彼は物語に巻きこまれた。結末は誰にもわからない。ふたりで起、承、転、結を体験します。この著者だけに書ける、知的にひねった、ほろ苦い、くやしいほどさっぱり、短編のような長編。」
扉の文章だ。

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読み終えると、まさにくやしいほどさっぱりとしたふたりだ。
最後のページに、三枚の写真を見ながら、「私たちのストーリーは、そこからはじまったのよ」「発端だね」「よく見ておいて」という台詞がある。そして、そのあと、主人公の女性がステーション・ワゴンを発進させるところで終わる。
ここから始まるであろうという場面で終わるストーリー。
素晴らしい。想像は無限に広がる。
この時、主人公の男性が着ていたジャケットは、さまざまな色を複雑に織りこんだ絹のジャケットだ。彼は彼女に似合うのではないかと思いながらはおって家を出た。そして、彼女は彼はそのジャケットを気に入り、記念日の証としてくださいと言う。そして彼はそれを彼女にあげる。

ふと私だったら、どんなジャケットを素敵だとほめるだろうかと思った。きっと、ライダースジャケットか、フライトジャケットだろうなと思った。

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by space_tsuu | 2008-05-16 00:00 | 赤い背表紙(長編)

赤い靴が悲しい

解説は水上洋子さんだ。
彼女が書いているこんな文章に頷いた。
「片岡さんが描く女性のかっこよさは、通り一遍のかっこよさではない。女性の欠点さえもかっこよく描いてしまうのである。
女性のさまざまな欠点とされているところをあげれば、感情的、気まぐれ、焼き餅焼き、人の悪口好き、といったところ。
だが片岡さんは、それをいけないとは言わない。
(中略)
彼女たちはとてもしたたかで強そうである。でも基本的にどこか品がいい。たとえどんなことをしても、いいところのお嬢さんふうの育ちのよさがある。
そう感じるのは、ヒロインたちが女の欠点をへんに隠したりせず、ちゃんとそれを見つめ、つき合っていく余裕を持っているからだ。こういうのは客観的な思考のできる女性でないとできないことだし、どちらかというと男性が得意とするところだろう」

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これには同感なのだが、女性たちがかっこいいのはやはり、片岡さん自身がそうだからなのではないかとも思う。
片岡さんが誕生させる女性たちは片岡さん的な思考の持ち主になる。
いずれにせよ、読んでいて清々しい気持ちになれるのには違いない。
悩み事などはほとんどないと思っているけれど、ふとマイナスな傾向に偏っていきそうになったりした時に、片岡さんの文章を思い出すと、霧が晴れるようにそんな気分はなくなってしまう。
そして、片岡さんの様々な文章や台詞がいつのまにか膨大に積み重なっているせいか、精神的にかなりタフでいられる自分を発見すると嬉しくなったりする。

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by space_tsuu | 2008-05-13 00:00 | 淡いオレンジの背表紙