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「形」になった記憶

写真を撮った人の記憶。その写真を見た人の記憶。
写真に撮ってもらった人の記憶。その写真を撮った人のファインダーごしの記憶。
写真を撮った本人が、時間が経過したあとで再度その写真を見た場合、
そこに写し出された画像としての記憶は、どんなふうに蘇るのだろうか。

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きっと見るたびに違っているかもしれないし、いつ見ても新鮮に昨日のことのように
蘇る場合もあるかもしれない。
しかし、もともと記憶というものはあいまいで不確かなものだ。
勝手にどんどん事実が別の記憶にすり替えられていっているかもしれないということにさえ、実は本人も気づいていなかったりする。

まだ雪のない冬の日に海岸で撮った風力発電と昼の月の写真をプリントしてみた。
それを見ていると、あの時ファインダーごしにながめた感覚が蘇ってきた。
かなりの寒さだったということも思い出したが、その刺すような冷たさの感覚はもうとっくに記憶の彼方へかき消されていた。
空を切り取ったような写真を手に持ちながら、今自分は「記憶」を形があるものとして触れていると思った瞬間に、なぜだか笑みがこぼれた。

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by space_tsuu | 2009-06-18 00:00 | 私の心とその周辺

甘く優しい短篇小説

ひとつひとつを他のストーリーと切り離して読んでも、それぞれがひとつの短編として完結していると言ってもいいけれど、全体的にはつながったひとつのストーリーになっている。
あとがきの永井旦さんが書いているように、ところどころに月が密かにそして巧みに登場する。
できあがった物語は、ただ虚空に浮かぶ月のようなものにすぎず、現実離れした物語の中で主人公がその月を見上げて会話をするというあとがきを読みながら、私はオノ・ヨーコさんが『グレープフルーツ・ジュース』という本の中に書いてあったことを思い出していた。

「盗みなさい。
水に映った月を、バケツで。
盗みつづけなさい。
水の上に月が見えなくなるまで。」

月が架空の物語だとすると水に映った月は何だろうか。
現実の水面に映る月。私という「現実」、手ではとらえることのできない心という空にぽっかりと浮かんだ月。そして明鏡止水であるならば、くっきりとした月が映るだろう。
「物語」は私の心の中で咀嚼され脳細胞の隅々まで浸透して、いつしか自分の一部になる。

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それはそうと、『そして最後にマヨネーズ』というストーリーの中に出てくる女性が様々なお菓子や瓶詰めを買うシーンがあるのだが、まるで自分のことのようで苦笑してしまった。
食べるためではなく、気にいったから買ってみるという行動によって、いまだに食品庫にそのままになっている缶詰や瓶詰めがいくつかある。
でも、それはオブジェなのだから、よしとしよう。

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by space_tsuu | 2009-06-05 00:00 | 青い背表紙