<   2013年 09月 ( 2 )   > この月の画像一覧

幸せは白いTシャツ

この『幸せは白いTシャツ』を買って読んだ時、私はまだオートバイの免許は持っていなかった。
私がこの本に出会ってからおよそ三年後くらいに、中型の免許を取ったことが、免許証を見て確認することができた。

b0127073_17591788.jpg


実際にオートバイに乗ってから読むのと、乗っていない時に読んだのでは、格段に感じ方が違う。あらためて読み直してみると、実際に自分がオートバイにまたがっている時の振動や排気音、暑い日差しでTシャツから出ている腕が真っ黒に陽焼けしたこと、土砂降りの中、ずぶぬれになりながら走ったことが鮮明に思い起こされてくる。
経験はいつでも想像をはるかに超える。五感で味わったことは、実感として体のすみずみに残っていて、ある時、ふと鮮やかによみがえる。経験したことのないことには実感も共感もともなわないのだと、この本が教えてくれる。
次に抜粋したぴかぴかのタンク・ローリーについて走ることも何度か体験したことがある。そのたびに、ここに書かれているような光景に自らが入りこんで体験しているということを楽しむことができる。

b0127073_1801250.jpg


『ぴかぴかのタンク・ロリーのうしろについて走った。タンクぜんたいがクローム・メッキしてあり、陽ざしを受けとめて鋭く輝いていた。タンクの後部も、ぴかぴかだった。円型のぜんたいが鏡のようで、鮮明にうしろの光景をうつしていた。ついて走っている自分とオートバイとが、そこにうつっていた。円型のまんなかにむけてすこしふくらんだ凸面なので、自分そしてさらに自分のうしろの光景が、広角レンズのように広くうつった。タンク・ロリーは前方へむかって走り、そのうしろについている自分も、タンク・ロリーとおなじスピードで前へ走っていきつつある。視界の両わきの光景は、したがって、後方へ流れていく。だが、タンクのうしろにうつった光景のなかでは、いま自分たちがうしろへ置き去りにしつつある光景が、前方へと、丸い凸面鏡となったタンク後部の周囲へ、吸いこまれるように消えていった。前へむけて走っていくタンク・ロリーと自分、そして後方へ流れ去っていく両側の光景。そこへさらに、タンクにうつっている後方の光景が加わってしかもその光景は前方へ消えていく。タンク・ロリーはディーゼル・エンジンの排気を濃く吐き出していたが、それにもかかわらずしばらくうしろについて走って充分に面白かった。』

そして、三好礼子さんというモデルになって登場している女性の写真はどれも素敵なのだが、なぜかこのオートバイを洗っている写真がずっと心に残り、いつか私も自分のオートバイをこういうふうに洗うんだと思ったことを思い出した。

b0127073_17594633.jpg


この物語は長篇連作シリーズ・オートバイの詩(2)夏として書かれたようだ。扉には、次のように書かれてある。
『時間の経過は誰に対しても均等で平等です。問題は、その時間のなかでなにをするかです。美しい彼女は旅に出ました。旅に出ているあいだに両親は離婚し、帰る家がなくなってしまいました。旅の行くさきにも、あてはないのです。すくなくとも二年は帰らないという意思があるだけです。旅の彼女に、陽が照り風が吹き、雨が降ります。それだけで、彼女は充分に幸せなのです。』

そして、(1)は秋「ときには星の下で眠る」、(3)は春「長距離ライダーの憂鬱」だ。(4)冬が「淋しさは河のよう」とタイトルだけは決まっていたのだけれど、出ないまま今に至っているようだ。ストーリーもひょっとしてできあがっているか、途中まで書いてそのままだったりするのだろうか。。淋しさは河のようとは、どういうことなのか。
季節は冬だ。その冬の寒さの中、ライダーが河にそってオートバイを走らせたりするのだろうか。そして河のそばで暖をとりながら一杯の紅茶を飲んだりするのではないか、などととりとめもなく想像をふくらませてみたりする。もちろんそんなに単純な話ではないだろう。とても気になる。


----------------------------------------------------------------------------------------

More
[PR]
by space_tsuu | 2013-09-22 00:00 | 赤い背表紙(長編)

心のままに

この物語は、ひとり用の折りたたみ式のカヌーに乗った青年と純白のクーペに乗って川までやってきてランチを食べている彼女が冒頭で出会うシーンから始まる。
片岡さんの書く物語の中には、興味をひきつけるものがたくさん出てくる。
この本は昭和六十年二月二十五日初版となっていて、その時にもかなり気になったはずなのだけど、今こうして読みかえしてみてもまだ、興味津々のものが多い。

b0127073_13363182.jpg


カヌーもその中のひとつだ。
カヌーは友達が持っているので、日本で一番深い湖に行ってカヌーを漕いだ経験はある。ボートと違って、水面がもっと近くに感じられて、湖の中央付近まで漕いでいって水面を見ると、怖いくらいの蒼に、一瞬体中に緊張感が走ったことを思い出した。
また漕いでみたい。
この物語にはさらに二人用のグラマンのカヌーというのが登場する。さっそく調べてみると、私の大好きな雰囲気のアルミのカヌーを発見した。
いつかこのカヌーで、またあの深い蒼の中に漕いでいってみたいという衝動がふつふつとわき起こってきてしまった。

もうひとつ私が昔から気になっている8ミリカメラも話の中に出てくる。8ミリカメラが登場するのではなく、8ミリのフィルムを見るという場面がある。そこを読んでいて、そういえば8ミリカメラで何かを撮りたいと思ったこともあったなということを思い出した。
8ミリ風に撮れるアプリというのもあるようだけど、今の便利な世の中で、あえて8ミリカメラで撮ってみるというのは、どんな感じだろうか。

中古の8ミリカメラを買って、グルマン社製のアルミのカヌーで日本一深い湖の上を漕いでいく。そして、深い深い蒼を撮影してみる、というアイディアは実行に移せるものだろうか。

b0127073_13364670.jpg


表紙を開いたところにある文章は、こんなふうに書かれている。
そのままここに書き写しておこう。

『物語がはじまったとき、人間関係はすでに解体されています。しかし気持ちはつながっています。どの人にも新しい関係ができつつあるとき、もとの関係の当事者たちが、ある夏の日、ひとつのところにふと集まります。解体するにせよ新しく生まれるにせよ、関係の変動こそ、ドラマなのです。夢なのです。』

------------------------------------------------------------------------------------------------

More
[PR]
by space_tsuu | 2013-09-13 00:00 | 赤い背表紙(中編)