恋愛小説2

絵を描くのが好きだった。好きだった、と過去形で書いたからといって、今は好きではないという意味ではなく、昔はよく描いていたけれど、最近はめっきり描かなくなってしまったことに対する自責の念からそう書いた。
人生も半ばを過ぎたなぁなどと、あれこれ思いをめぐらせていた時に、子供の頃に好きだったことや、やりたかったことを、これから少しづつまたやってみようかと思いついた。
真っ先に思い浮かんだのは、絵を描くことだった。

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絵といっても、いたずら書きのようなものが多かったけれど、油絵というものを描いたことがなかったので、まずは油絵に挑戦してみようと思った。何かに興味を持つと、不思議なことにその興味を持った事柄に関する情報が集まってくるようだ。自分が気にするから目に入ったり耳にしたりするのかもしれないが、今まで長年いらしてくれていたブティックに勤めているお客様が絵を描く人で、実は他にも本業をもっていて、インテリアコーディネートなどをやっているということを初めて知った。
そこで、彼女の携帯の中にある彼女が描いた絵の写真を見せてもらった。その絵たちは素晴らしく、こんなふうに私も描いてみたいという思いが強まった。
またある日の早朝、車を運転している時に見た朝もやが濃厚な中にかろうじてうっすら見える太陽が、私にこの光景を絵に描いてごらんとそそのかした。
そして、今回、この「恋愛小説2」を久しぶりにブログに更新しようと読み始めたら、冒頭に「美術館で過ごした時間」とあるではないか。そして、ここにも、絵を描けと言わんばかりの魅力的な光景が広がっていた。
そうだ、やはり、絵を描こう。

そういえば、今回この本の中で、久しぶりに片岡さんが書く性的な描写を目にした。
あからさまな表現はなにひとつないのに、というよりは、ないからこそ、読む人の想像力を大いにかき立てる書き方をしていた。
読んだあと、無性に冷たいビールが飲みたくなってしまった。



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# by space_tsuu | 2013-11-13 00:00 | 赤い背表紙(短編)

幸せは白いTシャツ

この『幸せは白いTシャツ』を買って読んだ時、私はまだオートバイの免許は持っていなかった。
私がこの本に出会ってからおよそ三年後くらいに、中型の免許を取ったことが、免許証を見て確認することができた。

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実際にオートバイに乗ってから読むのと、乗っていない時に読んだのでは、格段に感じ方が違う。あらためて読み直してみると、実際に自分がオートバイにまたがっている時の振動や排気音、暑い日差しでTシャツから出ている腕が真っ黒に陽焼けしたこと、土砂降りの中、ずぶぬれになりながら走ったことが鮮明に思い起こされてくる。
経験はいつでも想像をはるかに超える。五感で味わったことは、実感として体のすみずみに残っていて、ある時、ふと鮮やかによみがえる。経験したことのないことには実感も共感もともなわないのだと、この本が教えてくれる。
次に抜粋したぴかぴかのタンク・ローリーについて走ることも何度か体験したことがある。そのたびに、ここに書かれているような光景に自らが入りこんで体験しているということを楽しむことができる。

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『ぴかぴかのタンク・ロリーのうしろについて走った。タンクぜんたいがクローム・メッキしてあり、陽ざしを受けとめて鋭く輝いていた。タンクの後部も、ぴかぴかだった。円型のぜんたいが鏡のようで、鮮明にうしろの光景をうつしていた。ついて走っている自分とオートバイとが、そこにうつっていた。円型のまんなかにむけてすこしふくらんだ凸面なので、自分そしてさらに自分のうしろの光景が、広角レンズのように広くうつった。タンク・ロリーは前方へむかって走り、そのうしろについている自分も、タンク・ロリーとおなじスピードで前へ走っていきつつある。視界の両わきの光景は、したがって、後方へ流れていく。だが、タンクのうしろにうつった光景のなかでは、いま自分たちがうしろへ置き去りにしつつある光景が、前方へと、丸い凸面鏡となったタンク後部の周囲へ、吸いこまれるように消えていった。前へむけて走っていくタンク・ロリーと自分、そして後方へ流れ去っていく両側の光景。そこへさらに、タンクにうつっている後方の光景が加わってしかもその光景は前方へ消えていく。タンク・ロリーはディーゼル・エンジンの排気を濃く吐き出していたが、それにもかかわらずしばらくうしろについて走って充分に面白かった。』

そして、三好礼子さんというモデルになって登場している女性の写真はどれも素敵なのだが、なぜかこのオートバイを洗っている写真がずっと心に残り、いつか私も自分のオートバイをこういうふうに洗うんだと思ったことを思い出した。

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この物語は長篇連作シリーズ・オートバイの詩(2)夏として書かれたようだ。扉には、次のように書かれてある。
『時間の経過は誰に対しても均等で平等です。問題は、その時間のなかでなにをするかです。美しい彼女は旅に出ました。旅に出ているあいだに両親は離婚し、帰る家がなくなってしまいました。旅の行くさきにも、あてはないのです。すくなくとも二年は帰らないという意思があるだけです。旅の彼女に、陽が照り風が吹き、雨が降ります。それだけで、彼女は充分に幸せなのです。』

そして、(1)は秋「ときには星の下で眠る」、(3)は春「長距離ライダーの憂鬱」だ。(4)冬が「淋しさは河のよう」とタイトルだけは決まっていたのだけれど、出ないまま今に至っているようだ。ストーリーもひょっとしてできあがっているか、途中まで書いてそのままだったりするのだろうか。。淋しさは河のようとは、どういうことなのか。
季節は冬だ。その冬の寒さの中、ライダーが河にそってオートバイを走らせたりするのだろうか。そして河のそばで暖をとりながら一杯の紅茶を飲んだりするのではないか、などととりとめもなく想像をふくらませてみたりする。もちろんそんなに単純な話ではないだろう。とても気になる。


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# by space_tsuu | 2013-09-22 00:00 | 赤い背表紙(長編)

心のままに

この物語は、ひとり用の折りたたみ式のカヌーに乗った青年と純白のクーペに乗って川までやってきてランチを食べている彼女が冒頭で出会うシーンから始まる。
片岡さんの書く物語の中には、興味をひきつけるものがたくさん出てくる。
この本は昭和六十年二月二十五日初版となっていて、その時にもかなり気になったはずなのだけど、今こうして読みかえしてみてもまだ、興味津々のものが多い。

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カヌーもその中のひとつだ。
カヌーは友達が持っているので、日本で一番深い湖に行ってカヌーを漕いだ経験はある。ボートと違って、水面がもっと近くに感じられて、湖の中央付近まで漕いでいって水面を見ると、怖いくらいの蒼に、一瞬体中に緊張感が走ったことを思い出した。
また漕いでみたい。
この物語にはさらに二人用のグラマンのカヌーというのが登場する。さっそく調べてみると、私の大好きな雰囲気のアルミのカヌーを発見した。
いつかこのカヌーで、またあの深い蒼の中に漕いでいってみたいという衝動がふつふつとわき起こってきてしまった。

もうひとつ私が昔から気になっている8ミリカメラも話の中に出てくる。8ミリカメラが登場するのではなく、8ミリのフィルムを見るという場面がある。そこを読んでいて、そういえば8ミリカメラで何かを撮りたいと思ったこともあったなということを思い出した。
8ミリ風に撮れるアプリというのもあるようだけど、今の便利な世の中で、あえて8ミリカメラで撮ってみるというのは、どんな感じだろうか。

中古の8ミリカメラを買って、グルマン社製のアルミのカヌーで日本一深い湖の上を漕いでいく。そして、深い深い蒼を撮影してみる、というアイディアは実行に移せるものだろうか。

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表紙を開いたところにある文章は、こんなふうに書かれている。
そのままここに書き写しておこう。

『物語がはじまったとき、人間関係はすでに解体されています。しかし気持ちはつながっています。どの人にも新しい関係ができつつあるとき、もとの関係の当事者たちが、ある夏の日、ひとつのところにふと集まります。解体するにせよ新しく生まれるにせよ、関係の変動こそ、ドラマなのです。夢なのです。』

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# by space_tsuu | 2013-09-13 00:00 | 赤い背表紙(中編)

アールグレイから始まる日

かたわらに積み上げてある何冊かの中から、この一冊を手にとって読み始めてしまうと、ああ失敗したと思ってしまう。
失敗した、というのは、面白すぎて読み続けてしまうという意味だ。読み続けてしまうのがダメだという意味ではなく、他のやらなければいけないことを後回しにしても読み続けたい、あるいは、読んでいる時に邪魔がはいったりしたら困るではないかという意味だ。
でも、片岡さんのエッセイには時々そう思いながらも再読したい魔力がひそんでいる。
時代が変わっても、新たに発見することが多い。それだけ内容が濃厚で幅広くその時その時において勉強になることがちりばめられているのだ。

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ふと、付箋がしてあることに気づき、そのページを見てみると、「複眼とはなにか」という題名で次のようなことが書かれていた。少し抜粋してみよう。

『複眼、という言葉をよく目にする。複眼の思想とか、複眼のすすめ、といった文脈で使用される。単一のせまい範囲内に限定されたものの考えかたや価値観を超えて、もっと広い視野で自分や世界を多元的にとらえる能力を、一般的には意味している。単眼から双眼を飛び越えて複眼が、多くの人たちによって人々にすすめられている。
ほんのすこしだけスケールを大きくとって考えると、単眼とは、たとえば自分の世界として日本しか知らないことだ。日本に日本人として生まれ、日本の教育を受けて育ち、自分が日本人であることをなんら疑っていず、日本のなかでのみ通用する価値観やものの考えかたを身につけ、これからも日本のなかでだけ生きていこうとしている人たちは、複眼をすすめる人たちの側から見ると、典型的な単眼であるということになる。
(中略)
複眼のすすめは、じつは自分のなかにある日本をある程度まで捨てなさい、という提案だ。削って捨てると言っても、身についたものはすべて頭のなかにある。記憶の内部に蓄積してあるものを、必要に応じて切り取って捨てることは、すくなくともいまのところ人間には不可能だ。だから次善の策として、日本ではないもの、日本的ではないものを、かなり真剣に学習して身につけなければならない。本当に複眼をめざすなら、そのような学習は、何年も持続される必死の勉強になるはずだ。日本とはまったく異なった文化の側から、日本をさまざまに見ることが出来るようになるのが、複眼の第一歩だ。異なったもうひとつの文化を真に自分のものにするのは、誰にとっても至難の技であるはずだ。 』

英語を勉強している私にとって非常に興味深くもあり、君の勉強の仕方ではまだまだだよと言われているような気がして耳が痛くもあるが、最近少しマンネリ気味になってきた気持ちに活を入れられた感じがした。

ここに書きたい部分はほかにもたくさんありすぎて、書ききれないけれど、少しづつ時々開いて読みたいので、この本はいつも傍らに置いておこう。

最後に、表紙を開いてすぐに飛びこんでくる素敵な文章を、ここに載せて、私もアール・グレイの紅茶でも飲んでみようかな。

『紅茶はアール・グレイ。ポットに湯を注いで、一日が始まる。新聞から天気図を切り抜き、今日までのに加え、紅茶を飲みながら観察する。東へ去る高気圧。それを追う低気圧。前線の影響、雨模様。しかし今日はいまのところ晴れている。沿岸の海風が、低めの気温のなかで、魅力的なはずだ。海風に触れてこよう。すぐに出かけよう。今日はそのための一日。二杯めをカップに注ぎ、自分の一日が本当に始まる。』

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# by space_tsuu | 2013-07-18 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

THE FOUR OF US 最愛の人

横が約10cm 縦が約19cmで厚さが5mmくらいの薄くて手に持った時の感触が心地いい本だ。
GRRETING BOOKと印刷されているので、誰かへのプレゼント用に作られたものだろう。表紙をめくった1ページ目に、上から「For」、「From」そして最後に「19」と書かれている。この本の発行日が1988年12月1日初版発行となっているので、最後の「19」は「19○○年」のことだろうから、プレゼントする日を贈る人か贈られた人が記入するのだろう。

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ページをめくってみると、どのページにも短い文章と小さな白黒の写真が載っていて、
紙には花の透かし模様が入っていることに気づいた。

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この本の文章の書き方は、いつもの片岡さんの書き方とは違っていてまた新鮮に感じる。
たとえて言うなら、大人の絵本とでもいうような感じか。
「未来」と「可能性」と名づけられた銅像たちと現実の男女たちの4人の物語だ。
少しだけ抜粋してみる。

『広い公園です。起伏に富んだ複雑な地形のなかに、いくつもの丘がつらなり、森や湖があり、川も流れています。ほんのちょっと散歩するつもりででかけても、ふと気がつくと、半日が過ぎ去っていたりします。』

『出会うことのまずあり得ない銅像のふたりは、いまでも僕の部屋のデスクの上で、おたがいに二次元の写真となって、寄り添って立っています。』

上質な大人の絵本の上部に配置されている写真たちを、私はとても気に入っている。こういう写真が大好きで私も写真を撮ろうと思ったのだ。見ているだけでとても幸せな気持ちになってくる。
ストーリーの内容と写真たちは特にリンクはしていないように見えるが、ストーリーの中の背景として、あるいは主人公たちの日常のさりげない小物のひとつとして結びつけて考えるなら、想像力は何倍にもかきたてられる。

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このグリーティングブックは、誰かにあげようとして買ったのではなく、自分自身へのプレゼントとして買ったのだから、時折何かの記念日にでもまた開いて眺めてみよう。

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# by space_tsuu | 2013-07-16 00:00 | KADOKAWA- GB