白いヘルメットのアメリカ国歌

もうすぐガソリンがなくなることを知らせるオレンジ色の小さなライトが点灯してから、すでに20キロは走っている。暑い陽射しの中、漁港のある街の中へ大きく右にカーブしつつ入った。
ウニ丼と書かれた旗がひらひらと風にはためいている店を何軒かやりすごすと、右前方にガス・ステーションの看板を発見した。
左側には何艘もの漁船が停泊しているのが見えた。
ガス・ステーションに入る前にウインカーを点滅させ、いったん停止し対向車を一台やりすごした。
彼女は徐行しながら給油のためのスペースに入り、自動車をその日陰の中にとめた。
かっぷくのいい中年の女性がオフィスから出て来て言った。
「こんな日はオープンカーだと気持ちいいでしょう」
「そうですね」とだけ答えて彼女は微笑した。

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給油をしている間、次に向かう行き先までの道筋を確認するために、かたわらに置いてあったロードマップを開いた。
給油を終える頃、何台かのオートバイの音がガス・ステーションに入ってくる音が聞こえた。
いつもなら、オートバイの音が聞こえてきたなら、チラリとでもそちらのほうを見てみるのだが、この時はロードマップから目を離さずにいた。
給油を終えた女性にクレジット・カードを渡し、サインをして領収書を受けとり、財布にそれを戻した。
エンジンを始動させ、おだやかに道路に向けオープンカーを発進させつつ、オートバイの彼らのほうをちらりと見た。
ちょうどオートバイのひとりがヘルメットを両手で上のほうに引き上げ、頭からヘルメットをはずし、何か大声で歌い出したところだった。
彼の髪はブロンズ色だった。
歌っている歌はアメリカ合衆国の国歌だということを彼女はその時同時に気づいた。
三人のライダーのうち二人は外国人で一人は日本人の女性だった。
道路はどちらからも自動車は走ってこなかった。
彼女は暑い陽射しの中にふたたび出ていった。


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# by space_tsuu | 2010-07-23 00:00 | 私の心とその周辺

美しいひとたち

この本は、あからさまな性的な描写よりも、読む側がそれぞれの想像力を駆使して映像化して読んでいくほうが、はるかに艶かしいということを教えてくれる一冊かもしれない。

『夢の終わるべきかたち』の中のパラグラフが印象的なので、少し抜粋してみることにする。

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「夢というものは、実現しないものなのです。夢は、ただ消えてゆくだけのために、存在します。誰もが夢を持ちますが、人生のなかばには、ほとんどの夢は消えています。」

「夢は消失しても、男性たちは生きてゆきます。しかし、人は現実のなかを生きるのではありません。自分で物語を作り、そのなかを生きてゆきます。現実は自分とはなんの関係もなしに起こってくる、それぞれにまったく無関係な出来事の、荒涼たるちらばりです。このような現実を、自分を中心にして組み換え、作り変えたものが、物語です。」

「夢が消えたあとを、物語が引き受けます。そして、物語を作るにあたって、もっとも強力なきっかけとなるのは、いつもきまって若い女性の体です。」

ひとつひとつの物語は違っても、これは、普遍の原理なのだ。

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# by space_tsuu | 2010-04-08 00:00 | 淡いオレンジの背表紙

ぼくはプレスリーが大好き

『誰のためでもなく、なんのためにでもなく、本能としか言いようのない衝動だけを指標に、自分のために自分でひとりぼくはメモをとった。その結果がこの本だ。
メモをとりたくなったきっかけは、やはり、かつてのエルヴィス・プレスリーによる天啓にちがいない。あの天啓以来、あるときは一瞬のうちに、あるときはながい時間をかけてすこしずつ、ぼくが体で感じとってきたものの集積が、ある一定の限度をこえたとき、ぼくは、その集積に関してメモをとろうと考えた。』

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『個人的なメモでさえ、ぼく自身にとっては、書きおわったとたんにご用ずみだが、とにかくなにごとにせよ描くためには、ぼくは、自分が経過していく時代のすべてを、自分のための材料なり足場なり指標になりとして、必要とした。』

『面白くない本は、その面白くなさの追求が、有益だった。』

『結局、ぼくが選択したものは、ブルースだった。決定的な選択によって、ブルースが自分のなかにもあることを知った。ロックンロールは、あるときあるところであるる人にとって一種の臨時的な価値をしか持たず、誰の内部にもありうるブルースは、より普遍に近い。ふたつをくらべるとき、ひとつは馬鹿ばかしく、もうひとつは馬鹿ばかしくない。』

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あとがきからいくつか抜粋してみた。
私が個人的に片岡さんの本についてのメモのようなブログを書いているのとは雲泥の差だが、ブログというツールを使って何かを書いていこうとひらめいたその衝動は、まさに同じだ。
書きおわっても、くしゃくしゃにして捨てるメモではないメモ。
時々自分のために読み直してみたりすると、その時の自分がこんなことを書いていたのかと不思議な感覚を味わえるメモ。
自分という小さな時間の経過が刻まれているメモといってもいいかもしれない。
書きたい時に書くだけだから、ストレスもない。
片岡さんの本から濾過された自分の断片を、ふとした時に、これからもメモしていこう。

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# by space_tsuu | 2010-04-02 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

and I Love Her

『なにをしているというわけでもないけれど、なにか自分好みのことをしている、みじかい不思議な自由時間。誰もが体験している時間ですし、とても大切なひとときなのですが、すぐに消え去り忘れてしまいます。こんな時間をひとりの女性の一年間のなかからひろい集めたのが、この本です。愛する彼女の伝記だと、著者は言うのですが。』

扉の文章だ。

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片岡さんの本を読むきっかけになったのが、この『and I Love Her』だ。
書店でなにげなく手にとってぱらぱらと読み始めた時の静かな衝撃を今また思い出している。
少しだけページの上部に余白があり、文字の色はダークブルーだ。
ひとりの女性の行動をただ淡々と書きつづっているだけのような文章を私はこれまで読んだことがなかった。
「なんだ、この小説は」と思いながら、買わずにはいられなかった。
通勤中の電車の中やアパートの部屋で夢中になって読んだ記憶が蘇ってくる。

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ショーツ一枚に春のハイヒール・サンダルだけの彼女が鏡の中の自分を見ながら冷たいビールを喉に流しこむ。
微妙にくすんだオリーヴ・ドラブ色のダッジ・チャレンジャーに塗れてはりついている桜の花びら。
ビーフ・ヌードルスープ、タバスコを数滴ふりかけてかきまぜたブラディ・メリー、バッファロー・グラスという名の草の香りをつけた、不思議な味のするウォッカ。
完全に自由だった時間の証明のような陽焼けのあと。
ゴム動力で飛ぶ模型飛行機。
読みすすんでいくうちに私はこの本の世界の中に完全にとりこまれてしまった。
そして、まだいぜんとして片岡義男という世界の中を探検しつつ、いつまでもそこから出たくないような気持ちが続いている。
この時おそらく、私の中に、すすむべき道の小さな芽が生まれたのだろう。
私の理想の終点は漠然と決まった。

この『and I Love Her』の主人公の女性は実在の人物だそうだ。
今どうしているのだろうか、とふと思ったりもするが、この本の中の「彼女」は、私の中では永遠なのだ。

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# by space_tsuu | 2010-02-26 00:00 | 赤い背表紙(中編)

答えは「動的平衡」だった

雑誌をパラパラとめくっていて、ある記事に目がとまった。
「私たちのからだを構成する細胞の分子は、細胞よりもミクロな単位の分子レベルで食べ物の分子とつねに置き換わっている。細胞の分裂が起こらないとされる心臓や脳でさえ、細胞の中身の分子はどんどん壊され新しい分子に更新されている。つまり私たちのからだは分子の「淀み」でしかない。
止まることのない流れの上にあるのが生命であり、そのあり方を言い表すのが「動的平衡」だ」ということがそこには書かれていた。

さらに、「私たちのからだには固定されたものは一切なく、分子の淀みがあるだけで、生命は分子の流れの中にこそあるという動的平衡そのものだ。流れをせき止め、分けようとする輪郭線など存在しない。光の粒のグラデーションで描かれているフェルメールの絵のように」ともあった。

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ここで、私が子供の頃に疑問に思っていたことがまたひとつ解決したように感じた。
教室で鉛筆を削りながら、鉛筆の芯の削りカスを見てふと感じた疑問だ。
このひとつひとつの粒が集まったものが芯なら、紙に鉛筆で一本線をひいたその線は、鉛筆の芯の粒の集まりだ。その線を高倍率の顕微鏡で見たら、きっと一本の線は粒つぶの集まりだから、厳密にはすき間のあいた線ではないか。

その粒を分子レベルで考えるなら、動的平衡そのものであり、それなら、鉛筆で書いた線だけではなく、すべては粒つぶの集まりではないのかという疑問だ。
それは電球に集まってなんとなくひとかたまりに見えている小さな虫のようでもある。
そして、そこからすべてのものは幻なのではないのかという疑問にまで発展していった。
子供の頃になんとなく思ったことなので、それは漠然としていたのだが、「動的平衡」という言葉をそこに勝手にあてはめて、私のたわいない疑問は自己完結した。

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# by space_tsuu | 2009-12-17 00:00 | 私の心とその周辺