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盗用を禁ず だじゃれ笑学校

この本は、片岡さんがテディ片岡として、しとうきねおさんと出したものだ。

本書の概要として、「本書は、だじゃれに関しては、その先天的才能にめぐまれ、天才馬鹿といわれる著者二名の、ふとした冗談から生まれ、彼らの相互協力と呻吟の末に、すべてを吐露し、ついに、本邦初公開となった逸品である。」と書いてある。

効能まで書いてある。

「活力精力推進力遠心力気力魅力経済力浮力握力膨張力努力腕力機動力圧力重力増進剤。」だそうだ。

内容は、くすっと笑ってしまうものや、バカバカしく、しょうがないなあと苦笑いしてしまうもの、Hなもの、ちょっと汚いもの、へぇ、なるほどとタメになるものまでいろいろだ。

だから、この本はどこから開いて読んでもいいので、毎日、適当に開いたページを見て、くすっと笑って置いておくという使い道もいいかもしれない。


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最後のほうにある「笑いのノート(7) 一億人の中のたった一人」というショートストーリーは、この本の中では少し異質な感じがした。

テツオという主人公が、どこへいっても、なにをしていても、まわりの人たちからジロジロ見られ、時には、他人の視線を意識したとたんに大汗がふき出したりする。その描写がとてもリアルなので、片岡さん自身もこんなことを体験したことがあるのだろうかと思いながら読んでしまった。

それにしても、このストーリーの結末は思いもよらないもので、私が昔好きで読んでいた星新一さんのショートショートと重なり合った。


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裏表紙に、著者ふたりの会話が載っているので、引用しておこう。


しとう「この本はだじゃればっかりのおかしい本だ。しかもオリジナルばかりだ」

片岡「だから”盗用を禁ず”と入れたんだ。でも、さかんに盗用してもらいたい」

しとう「そのとおり。大勢の若い人たちに手伝ってもらってつくった、だじゃれの宝庫だ」

しとう「だじゃれはいま大ブームだが、たてまえや理屈にからめ取られそうになっている現代人にとって、ストレト解消の道具といえる」

片岡「賛成だ」

しとう「ボクはテレビでいつもだじゃればっかり言っている。現代の社会のなかに山積みしている難問題の本質にせまるには、頭脳は柔軟でなくてはならないからだ」

片岡「発想の革命ということだね」




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# by space_tsuu | 2018-09-12 00:00 | テディ片岡

アップル・サイダーと彼女

この本は片岡さんそのものだ、と言っていいだろう。あとがきで本人がまぎれもなくぼくであり、ぼくがぼくであることの結果や証明のごちゃまぜであると言っているから、そうなのだろう。あとがきが一九七九年十月とあるので、その時までの片岡さん自身だということになる。
朝の八時から午後の四時すぎまで空の雲をながめてすごし、午後が夕方に変わっていこうとしている時間にこの「あとがき」を書いたそうだ。
「あとがき」というふうになっているけれども、私にとっては、「あとがき」という名のエッセイのひとつに思えるぐらいだ。

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この中に書かれている話はどれも素晴しい。どれも感銘をうける。どれかをひとつあげてくださいと言われても困るので、トランプのカードを一枚抜くようにページを開き、ひとつだけ選んでみた。
そのページは「コンドルは滑空していく」というタイトルだった。
『ぼくはコンドルという鳥に、すこし興味を持ってしまった。』という出だしで始まるエッセイなのだが、これを読んでしまうと、「私はコンドルという鳥に、ひじょうに興味を持ってしまった。」と言わざるをえないくらい引き込まれてしまう。
去年たまたまアマチュアのフォルクローレを聴いたのだが、その時に演奏で使っていたケーナはコンドルの主翼の骨で作られていたのだと今さらながらに気づいた。私は「コンドルは飛んで行く」という曲が心が揺さぶられるくらい大好きで、いつも聴くたびにぼうぜんとなるくらいなのに迂闊だった。自分の迂闊さを少しでも取り戻すために、数百万年も昔からすこしも変化していないというコンドルの骨でできたケーナを吹いてみたいという衝動がわきおこってしまった。

● 2005/4/27に書いたが、2018/8/31に、Moreをあらためて追加。


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# by space_tsuu | 2018-08-31 00:00 | 赤い背表紙(エッセイ)

花なら紅く

「良きデザインとしての女性の体、なかでも胸のふくらみに関する、形而上的な熱意を表現した文章集」と小津安二郎監督の名作映画、三作のなかで原節子が演じた「紀子さん」をめぐる、対話による謎解きという二つの小説でなりたっているのが、この『花なら紅く』だ。

さて、何について書こうかと思って手にした本がこの『花なら紅く』だった。表紙の写真にはAUGUSTの文字があるではないか。

書くなら今がちょうどいい。

読んでみると、時代背景、開放と閉鎖、カラーとモノクロ、胸とおしりなど、対照的な内容の二編なのだが、それについての福島礼子さんの解説が素晴らしい。

いくつか抜粋してみよう。


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「片岡氏はまるで魔法の薬でもつかったように、このような様々な性の舞台から、リアルな吐息や汗をカットする。そこに展開されるのは身体と性の美しさだけが、シルエットのようにうかびあがった透明な世界なのである。」


「『胸のふくらみがこう語った』を性を開花させる陽の物語とすれば、あとの小説『紀子が三人いた夏』は、陰の花として限定された狭い性をいきねばならなかった女性たちの物語である。」


「本当のエロティシズムは、博物館のように知識として身体を見る(知る)ということではない。また好奇のまなざしで陵辱することでもない。 異質の性をテンションをぎりぎりまでたかめて、まなざしという愛撫を行使すること、肉体の形象の美しさを堪能し、互いに許容しながら体温を感じあうことだという示唆を、片岡氏はまったくあい反する二つの小説を並列させることで、私たちのまえに、そっと提示しているのだ」


それと、私がこの小説で知ることができたのが、「エディプス・コンプレックス」というフロイトによる精神分析の概念だ。

片岡さんは、やはりいろんな分野にアンテナを伸ばしている人なんだと、あらためて思った。



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# by space_tsuu | 2018-08-29 00:01 | 赤い背表紙(短編)

ブックストアで待ちあわせ

鮮やかなブルーと白がさわやかな夏を感じさせてくれる鈴木英人さんの表紙が素敵な一冊だ。

表紙にある本屋さんの名前は「BLUE SAILS STATIONERS」とある。

左側には一台のオープンカーが停まっている。

最初のエッセイに登場するブックストアの説明と同じようだから、この本屋さんは実在していたのだろう。

本屋さんの店主は白髪の上品な初老の女性が、ひとりできりまわしていた、とある。

この本が出たのが1983年の10月20日だから、もう35年も前だ。

まだあるのなら行ってみたいが、どうだろう。


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この『ブックストアで待ち合わせ』という本は、雑誌『ポパイ』に連載していた記事のうち、アメリカの本について書いたものだけを抜き出して一冊にまとめたものなのだそうだ。

それぞれに白黒写真で紹介した本の写真が載せられているほか、本の真ん中には数ページカラー写真もある。

ジャンルも多岐にわたるし、今読んでもじゅうぶん楽しめそうな本ばかりだ。

ブログに書くためのメモを書き出しながら、あらためてそれらをじっくりとながめてしまった。


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本の後に書かれているこの本の紹介文を載せておこう。

「大都会の光と影をとらえた写真集、子供たちのためのベッドタイム・ストーリーズ、サーフィン・サウンドについてのお勉強の本、アウトドア遊びの教典、フォルクスワーゲンを元気にしておくための本、カウボーイ・ブーツ物語、ホッパーの画集、1950年代の映画スターたちのポートレート集・・・・・・。とっておきのアメリカの本の数々をカラー写真も交えて紹介する。魅力あふれるエッセイ。ほんとうのアメリカを知るための楽しく愉快な本でいっぱいの本。」


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リトル・ゴールデン・ブックスについては、片岡さんのエッセイを読んでから何冊か買ったことがある。

本棚のどこかにあるはずだから、探し出して、片岡さんの言うように、それらで英語の勉強をしてみようか。

英語の勉強というと、この本の中で紹介されている『WORD POWER MADE EASY』という本を買ってみた。

片岡さんが高校生のときにくりかえし勉強したという2冊のうちの1冊だ。学び終えたとき、学びはじめるまえの自分とはまったく別の人になったようなうれしい実感をもった、と書いてある。

Kindle版で買ったので、いつでもふとした時に勉強することができる。

私はまだ途中だけれど、読み終えたときに、そんな嬉しい感覚を味わえるのだと思うと楽しくなってくる。



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# by space_tsuu | 2018-08-24 00:01 | ハードカバー

町からはじめて、旅へ

赤い背表紙の「町からはじめて、旅へ」を持っているので、中古の本屋さんなどでこのハードカバーの単行本を見かけても、手に取ることもせず、同じ内容なのだと頭から疑わずにいた。

しかし、今年の1月に晶文社さんから40年ぶりに復刊された時に、内容が微妙に違うのだということをどこかで見かけて、すぐに注文したのだった。


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片岡さんには、『真夜中のセロリの茎』のように、同じタイトルだけれど全く違う内容のものがあるということを知っていたにもかかわらず、うかつだった。

だから、片岡さんが書く本は、とりあえずは手にとって中身を確認しなくてはいけないのだ。

いけない、と書いたけれど、それはいやいやしなければならないという意味ではなく、もしかしたらまたとワクワクしながら手にとりたいという感覚だ。


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私はいつも、気になった部分をメモするように取り出しては、ブログに残しているが、前にピックアップしたところと、今回のとを比べてみると同じようなところを書き出していることを発見して、つい苦笑いをしてしまった。

しかし今回の本で特に興味深い箇所は、「ぼくの食料品体験」だ。

片岡さんという人を作り上げてきた食べ物たちのことは想像するだけでも楽しい。

ひとつ残念なのは、片岡さんが美味しいと感じていたトマトは、もう存在しないということだ。

私が子供の頃に食べたトマトは、今よりずっと酸味があって青臭かった記憶があるが、そのトマトにももうお目にかかっていない。


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私が手に入れた赤い背表紙の「町からはじめて、旅へ」は初版で昭和五十六年二月五日となっている。

それをこの単行本と並べて写真をとってみた。

そしてこの二冊の紙の色を見て、その間の年月のグラデーションを想像して遊んでみた。




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# by space_tsuu | 2015-11-17 00:01 | ハードカバー